海の京都物語 第129話 西舞鶴・朝代さんは田辺藩の総鎮守どすなあ|日本酒YUTAKA(豊)

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 前回は西舞鶴の円隆寺はんで、丹後修験の歴史と静かな庭を眺めさせてもろたなあ。今日はその円隆寺さんとも縁の深い、すぐお隣に鎮座しといやす神社へ、足を運んでみとうおすえ。

 その名も朝代神社、地元の人らは親しみ込めて「朝代さん」て呼びますのや。西舞鶴の町なかにありながら、鳥居をくぐった途端に空気がすっと変わる、そんな不思議な古社どすなあ。田辺のお城下を長いこと見守ってきはったお宮の物語、ゆるりと聞いておくれやす。

⛩️朝代さんの由緒と祭神

 社伝によりますと、天武天皇の御代、白鳳元年(672年)9月3日に、淡路島に鎮座しといやした日之少宮、つまり伊弉諾神宮から、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)をこの田造の郷へお迎えしたんが始まりやそうどす。

 伊弉諾尊いうたら、日本の国生み神話に出てきはる男神さんで、伊弉冉尊さんと並んで、日本で初めての夫婦神とされとります。せやさかい朝代さんは、夫婦円満や縁結び、子授けにご利益があるいうて、今も大事にされとるんどすなあ。

 ただ、この672年いう年代は社伝によるもんで、江戸時代より前の確かな記録はあんまり残っておへん。文献にはっきり出てくるんは江戸期の「田辺府志」あたりからやそうで、そのあたりは伝承として聞いといてもらうんがよろしおす。

🏯田辺藩の総鎮守として

 江戸時代に入りますと、朝代神社は田辺藩の町方、つまり城下の町人さんらの産土神として、藩主はんらから厚う崇敬されるようになりましたんや。丹後国十一社の一つに数えられるほどの社運の隆盛を見せ、代々玖津見(くつみ)いう家が神主を務め、その任免は京都の吉田家が取り仕切っとったそうどす。

 享保年間(1716〜1735年)に一度火事に遭うて、社殿の多くが焼けてしもたそうどすけど、元文4年(1739年)に本殿が再建されました。それが今も残る本殿で、舞鶴の町でも一番古い部類に入る神社建築なんやそうどす。昭和3年(1928年)には府社へも昇格しといやす。

🗡吉原太刀振りと秋季例大祭

 朝代神社いうたら、なんちゅうても秋の例大祭どすなあ。旧暦9月9日、今の暦やと11月3日に営まれる秋季例大祭では、吉原の町から太刀振りが、平野屋の町から太神楽が奉納され、城下の各町から芸屋台や太鼓やぐらも繰り出す、それはそれは賑やかなお祭りやったそうどす。

 中でも4年に一度奉納される「吉原太刀振り」は、関ヶ原の戦いの頃にあった田辺城攻防戦を模したもんやと伝わる勇壮な神事で、1968年に舞鶴市の無形民俗文化財、1989年には京都府の指定文化財にもなっとります。ほかにも2月22日のお日待祭、5月3日の春季例大祭と、一年を通して神事が絶えん神社なんどすえ。

🌳境内と本殿建築の見どころ

 東側の大きな鳥居をくぐって参道を進むと、左へゆるやかに上ってから右へ曲がり、石段の先に社殿が構えとります。手水舎や、江戸・明治の頃のものらしい狛犬さんらが並び、境内には秋葉神社や出世稲荷神社、奥姫稲荷神社いうた末社さんらも鎮座しといやす。

 元文4年再建の本殿は、一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で桧皮葺、正面に一間の軒唐破風の向拝がついた、丹後でも古い部類に入る神社本殿建築どす。彫刻の意匠にも見応えがあって、平成5年(1993年)に舞鶴市の有形文化財に指定されとります。

📍行っ得メモ

・住所:京都府舞鶴市朝代13
・電話:0773-75-0132
・アクセス:JR舞鶴線・京都丹後鉄道「西舞鶴」駅から徒歩約10分前後(資料により8〜15分と幅あり)
・駐車場:あり(社務所前)
・拝観料:無料
・御朱印:社務所(朝代会館)にて授与

 舞鶴の町を長いこと見守ってきはった朝代さん。今も昔も変わらず、家族の安寧を願う人らの手を合わす姿があるんやと思うと、なんや温こう嬉しなる気持ちになりますなあ。

 朝代さんに手を合わせた後は、純米大吟醸YUTAKA(豊)を冷酒でひとつ。夫婦円満や縁結びを願う神さんにあやかって、ふたつ並べたガラスの盃に注ぎ、10度前後によう冷やしていただくんがおすすめどす。すっと澄んだ吟醸香と、米の旨みが柔らこう広がる後味が、古いお宮さんの静かな空気とよう合いますんやわ。

ほな、また次回のお楽しみに。

これからもどうぞよろしくお願いします。

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FAQ
Q. 朝代神社の祭神は誰どすか?
A. 朝代神社にお祀りされとるんは伊弉諾尊(いざなぎのみこと)どす。国生み神話に登場する男神さんで、伊弉冉尊さんと並ぶ日本で最初の夫婦神とされとります。せやさかい夫婦円満や縁結び、子授けのご利益があるいうて、今も多くの人が参拝しといやすんどすえ。

Q. 田辺藩とはどんな関係どすか?
A. 江戸時代、朝代神社は田辺藩の城下町、いわゆる町方の産土神として藩主はんらから厚う崇敬されました。丹後国十一社の一つに数えられるほど社運も栄え、神主を代々務めた玖津見家の任免は、京都の吉田家が取り仕切っとったそうどす。

Q. 吉原太刀振りとはどんな神事どすか?
A. 秋季例大祭の折、4年に一度奉納される勇壮な神事どす。関ヶ原の戦いの頃にあった田辺城攻防戦を模したもんやと伝わっとって、1968年に舞鶴市、1989年には京都府の無形民俗文化財に指定されとります。城下の吉原いう町から代々受け継がれてきた芸なんどすえ。

Q. 本殿はいつ頃の建物どすか?
A. 享保年間の火災で焼けてしもた後、元文4年(1739年)に再建されたんが今の本殿どす。一間社流造・桧皮葺で軒唐破風の向拝がついた、舞鶴でも古い部類の神社建築で、平成5年に舞鶴市の有形文化財に指定されとります。

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