海の京都物語 第162話 海賊の子孫、九鬼隆季はんが鳥羽から丹波へ流れ着いて綾部に陣屋構えはった殿さんの物語やで、ようおこしやす|日本酒YUTAKA(豊)

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 海の京都物語も気ぃついたら162話まで来てしもたなぁ。舞鶴やら宮津やら伊根やら、海沿いの町をあちこち巡ってきましたけど、今日はちょっと内陸に足を延ばして、綾部の町の奥に眠るお殿さんの話をさせてもらいますえ。

 綾部いうたら、グンゼさんやら大本さんやらバラ園やらでよう知られてますけど、実はこの町、江戸時代のほぼ全期間を通じて「九鬼(くき)」いうお殿さんの家が治めてはった城下町やったんどす。九鬼いう名前、聞いたことおへんか?

🌊 熊野の海を制した水軍が、丹波の山へ流れ着いた話

 九鬼氏いうたら、もともとは志摩国鳥羽(今の三重県)を本拠にした水軍の一族どす。戦国の世に名を馳せた九鬼嘉隆(くきよしたか)の孫にあたるんが、綾部藩の初代藩主・九鬼隆季(たかすえ)いうお方どすえ。

 嘉隆から二代・守隆へと続いた九鬼の家は、三代目のところでお家騒動が起きてしもたと伝わります。隆季と久隆、二人の間で跡目争いが起こり、幕府の裁定によって隆季は丹波綾部へ、久隆は摂津三田へ、それぞれ国替えになったんどす。海の男やった一族が、故郷の海から遠く離れた山あいの地へ追いやられる…そう思うと、なんや切のうもなる話どすなぁ。

🏯 寛永の世、綾部の地に陣屋が築かれる

 隆季が綾部に入部しはったんは寛永10年(1633年)、あるいは翌11年頃のことやったと伝わります(細かい年次は資料によって幅がありますよって、要確認どす)。石高は2万石、実際には綾部村だけでは500石ほど足りひんかったよって、隣の日尾組(今の福知山市三岳地区)を加えて1万9500石として治めはったそうどす。

 入部当初は下市場いうところに城館を構えはったんですが、火災で焼けてしもたそうで。その後、慶安の頃(1650年前後と伝わる)、上野の台地に改めて陣屋を設け、そこを中心に新しい城下町を造りはったんどす。田町、本町…今も綾部の町なかに残る町名は、この頃の名残やそうどすえ。

🪦 陣屋跡と、九鬼家の菩提寺・隆興寺

 残念ながら、綾部陣屋には天守閣のような大きな建物はのうて、お城というより「陣屋」という言葉がふさわしい、こぢんまりとした藩庁やったようどす。今、その跡地は大本(おおもと)さんの境内や綾部小学校のあたりに重なっていて、石垣や屋敷跡、城門跡の名残がところどころに見られるんどす。

 九鬼氏は隆季から幕末の隆備(たかまさ)まで、実に10代にわたって綾部を治めはりました。隆季自身は延宝6年(1678年)、江戸で亡うなって、故郷・鳥羽の常安寺に葬られはったそうどす。せやけど二代隆常や六代隆祺、七代隆郷、八代隆度など、代々の藩主は綾部の隆興寺に葬られてはって、今も九鬼家の廟所として大切にされてます。境内には本興稲荷神社や藤山天満宮も祀られ、平成26年(2014年)には改修も済んだそうどす。

🥁 九鬼水軍の陣太鼓が息づく、あやべ太鼓

 海を追われた一族やけど、その血は今も綾部の暮らしのなかに息づいてます。約390年の歴史を持つ「あやべ太鼓」は、九鬼水軍の陣太鼓がルーツやと伝わっていて、綾部踊りとともに、隆季らの入部にあわせてこの地にもたらされたそうどす。

 陣太鼓いうたら、もとは戦場や船の上で兵を鼓舞するための音やったはず。それが時代を経て、盆踊りや祭りを盛り上げる音に姿を変えて、今も綾部の夏を彩ってる…そう思うと、なんや胸の奥がじんとしますなぁ。

📍行っ得メモ

・御城印:あやべ観光案内所(JR綾部駅前、営業8:30〜18:00)にて1枚300円で頒布。九鬼氏の家紋・左三巴(ひだりみつどもえ)をあしらった図案どす
・陣屋跡:大本境内・綾部小学校付近一帯。石垣や屋敷跡、城門跡の名残が今も見られます
・隆興寺:九鬼家歴代藩主の廟所。境内には本興稲荷神社・藤山天満宮も祀られてます

 海の男やった九鬼の一族が、山に囲まれた綾部で二百数十年もの間、殿さんとして町を治めはった。そう思いながら陣屋跡に立ってみると、風の音にまで、遠い海の記憶が混じってるような気がしてくるんどす。

 そんな綾部の夜には、純米大吟醸YUTAKA(豊)を、四十度くらいのぬる燗でいただくのがようおすすめどす。九鬼家の家紋・左三巴を思わす凛とした片口から、青みがかった切子のぐい呑みへとろりと注げば、米の甘みと穏やかな酸味が、陣屋跡に吹く山の風みたいに、すうっと喉を通り過ぎていきますえ。水軍の血を引く殿さんが見た、内陸の静かな夜を思いながら、一献どうぞ。

ほな、また次回のお楽しみに。

これからもどうぞよろしくお願いします。

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FAQ
Q. 九鬼隆季はどんな人物どすか?
A. 九鬼隆季は志摩国鳥羽を本拠とした水軍の名門・九鬼嘉隆の孫にあたる武将どす。お家騒動の末に丹波綾部へ国替えとなり、寛永10年(1633年)頃に入部して綾部藩の初代藩主となりはりました。延宝6年(1678年)に江戸で没し、故郷鳥羽の常安寺に葬られたと伝わっています。

Q. 綾部陣屋は今も見られますか?
A. 綾部陣屋には天守などの大きな建物は残っておらず、跡地は大本の境内や綾部小学校の周辺に重なっています。石垣や屋敷跡、城門跡の名残が今もところどころに見られ、往時の城下町の面影を感じることができます。あやべ観光案内所では御城印も頒布されてますよって、あわせて訪ねてみておくれやす。

Q. 御城印はどこで手に入りますか?
A. 御城印は、JR綾部駅前にあるあやべ観光案内所で頒布されていて、1枚300円どす。営業時間は8時30分から18時までとなってます。九鬼氏の家紋である左三巴をあしらった図案で、綾部藩・九鬼氏の歴史を今に伝える記念の一枚として人気があります。

Q. YUTAKAはどんな温度で飲むのがよろしいどすか?
A. 純米大吟醸YUTAKA(豊)は、冷やしても美味しおすが、綾部陣屋跡を訪ねた夜には四十度前後のぬる燗がようおすすめどす。米の甘みと穏やかな酸味がふわりと立ちのぼって、山あいの静かな夜にぴったりの、しみじみとした味わいを楽しんでいただけますえ。

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