海の京都物語 第65話 日本海いちの大きさどす 網野銚子山古墳の物語|日本酒YUTAKA(豊)
こんにちは、YUTAKA中の人どす。
さて、前回の第64話では、網野町の琴引浜で「鳴き砂」の音色をご紹介しましたなぁ。今回も同じ網野町どすけど、今度は音やのうて、時を超えて残る「かたち」のお話どす。網野の町なかにどーんと横たわる巨大な古墳、「網野銚子山古墳」を訪ねますえ。
🏯 日本海側最大の前方後円墳どす
網野銚子山古墳は、墳丘の長さが201メートルにもおよぶ前方後円墳どす。後円部の直径は109.5〜116.5メートル、高さは17.3メートル、前方部の幅は83メートルほどもあって、三段に築かれた墳丘は日本海側では最大級の規模なんどす。2017年の再測量で、その全長があらためて確かめられたそうえ。
⚔️ 丹後王国の有力者が眠る古墳どす
築造は古墳時代前期、4世紀後半頃と考えられてますんどす。埋葬施設はまだ調べられてしまへんけど、大和政権とつながりを持ちながら、大陸との日本海交易にも携わった、この地方の有力者が葬られたんやないかと考えられてますえ。すぐそばには陪塚とされる小銚子古墳と寛平法皇陵古墳もあります。
🗺️ 日本海三大古墳のひとつどす
以前、与謝野町編で蛭子山古墳を訪ねましたんを覚えてはりますやろか。あの蛭子山古墳、丹後町の神明山古墳、そしてこの網野銚子山古墳を合わせて「日本海三大古墳」と呼ばれてますんどす。蛭子山古墳に続いて築かれ、神明山古墳に先立つ、いわば丹後王国が最も輝いてた時代のまんなかを飾る古墳やと言われてますえ。
🚧 令和7年、整備が完成したんどす
令和7年4月に約10年がかりの史跡整備が完了して、ガイダンス施設や駐車場が整い、葺石や丹後型円筒埴輪の列も復元されましたんどす。かつて2,000本ほども並んでたと考えられる埴輪の姿を、今はこの目で確かめられるようになりましたえ。
📍 行っ得メモ
・京丹後市網野町網野に所在、国指定史跡どす
・網野駅から丹後海陸交通バスで「網野」停留所下車、徒歩約10分どす
・徒歩の場合は網野駅から約20分どす
・令和7年の整備でガイダンス施設・駐車場も新しくなってますえ
🍶 YUTAKAを一杯 〜古代交易のロマンに、澄んだ一杯を〜
千七百年近く前、大陸との交易で栄えたこの丹後の地で、豪族たちは海の向こうの文物に思いを馳せてはったんどすやろなぁ。埴輪の列がずらりと並んだ丘に立って、その海風を感じながらいただくなら、キリッと冷やしたYUTAKAがようお似合いどす。切子のグラスに注いで、山田錦の澄んだ香りと共に、遠い交易の時代へ思いを馳せてみとくれやす。
丹後の海と大地が育んだ古代の物語、これからも大切に語り継いでいきたいもんどすなぁ。京丹後市シリーズ、次はどの町へ向かいましょうか。
ほな、また次回の京丹後市シリーズでお会いしましょう🍶
これからもどうぞよろしくお願いします。
FAQ
Q. 網野銚子山古墳ってどんな古墳どすか?
A. 京丹後市網野町にある前方後円墳で、墳丘の長さは201メートル、日本海側では最大級の規模を誇ります。後円部の高さは17.3メートル、前方部の幅は83メートルほどで、三段に築かれています。古墳時代前期、4世紀後半頃に築かれたと考えられ、この地方を治めていた有力者が眠るとされています。
Q. 網野銚子山古墳はいつ国史跡に指定されたんどす?
A. 「銚子山古墳 第一、二古墳」として大正11年(1922年)3月8日に国史跡に指定され、平成23年(2011年)9月21日には史跡範囲の追加指定も受けています。令和7年4月には約10年がかりの整備も完了し、ガイダンス施設や復元された埴輪列も見られるようになりました。
Q. 「日本海三大古墳」とはどんな古墳のことどすか?
A. 網野町の網野銚子山古墳(201メートル)、丹後町の神明山古墳(190メートル)、与謝野町の蛭子山古墳(約145メートル)の3つの大型前方後円墳をまとめてこう呼びます。いずれも古墳時代前期、4世紀に築かれ、大陸との交易で栄えた古代丹後王国の力を今に伝えています。
Q. 網野銚子山古墳を訪ねた後にYUTAKAを楽しむなら、どんな飲み方がおすすめどすか?
A. 古墳の丘で海風を感じた後には、キリッと冷やしたYUTAKAを切子のグラスでいただくのがおすすめです。丹後産山田錦から生まれた澄んだ香りとすっきりした味わいが、大陸交易で栄えた古代丹後の記憶と重なります。
京都 丹後