海の京都物語 第241話 山家宿、三街道が集う陣屋町のにぎわいどすなあ|日本酒YUTAKA(豊)
「海の京都物語」も第241話を数えました。これまで綾部市では、大本や光明寺二王門、黒谷和紙の里など、さまざまな歴史や文化をご紹介してきましたが、今回訪ねるのは山家(やまが)地区どす。
山家はただの山里やあらしまへん。江戸時代には谷氏が治めた山家藩の陣屋町として、また三つの街道が交わる宿場町として栄えた、綾部の中でも重要な交通の要衝やったんどす。
🏯 谷衛友と山家藩、陣屋町のはじまり
山家藩の藩祖・谷衛友は1563年に美濃国で生まれ、父・衛好とともに羽柴秀吉に仕えて各地を転戦した武将どす。関ヶ原の戦いでは西軍に属しながらも、田辺城包囲戦では東軍方の細川氏を攻める意思を見せず、攻めている振りだけをしたと伝わる「空鉄砲」の逸話が残っとります。
この立ち回りが戦後の処理で有利に働き、谷家は領地を安堵されました。当初16,000石やった所領は、2代・衛政の代に分知があって10,000石となりましたが、谷家は13代にわたって明治維新までこの地を治め続けたんどす。
陣屋が置かれたのは、今の山家城址公園(広瀬町)のあたり。上林川が断崖を形成する地に築かれ、町との間に川を隔てるという、近世の城下町としては少し変わった関係やったそうどす。
🛤️ 三つの街道が交わる宿場町
山家は、田辺(舞鶴)と京都を結ぶ田辺街道の宿場として発展しました。さらに上林や若狭へ通じる若狭街道、綾部城下へ続く綾部街道もこの地で分岐しており、まさに交通の要衝やったんどす。
街道が交わる場所には、多くの物資と人が行き交いますなあ。荷を背負った人足や旅姿の商人たちが山家の町を通り抜けていく、そんな賑わいが目に浮かぶようどす。
🏘️ 坂町・上町・馬場町、商家の賑わい
宿場町としての山家は、坂町・上町・馬場町の三つの地区に分かれとりました。人足駅問屋や旅籠、制札場も設けられ、街道を行き交う人々を支える機能が整っていたんどす。
この町からは鍋屋やたんごやといった豪商も輩出されたと伝わっとります。物資が集まる経済の中心地やったからこそ、こうした商家が育ったんやろなあ。
今も山家の町を歩くと、通りの佇まいにどこか往時の宿場町らしい空気が残っとる気がしますのや。
🚉 山陰本線・山家駅、今に続く道
明治43年(1910年)、山家にはJR山陰本線の山家駅が開業しました。街道の要衝やった歴史は、鉄道の時代になっても形を変えて受け継がれていったんどすなあ。
現在は無人駅となった山家駅のホームに立つと、かつて何本もの街道が集まったこの地の静かな今が感じられますのや。あやべ市民バス上林線も発着しており、今も昔も、山家は人と道をつなぐ場所どす。
📍行っ得メモ
・JR山陰本線「山家駅」下車(明治43年/1910年開業)
・陣屋跡は山家城址公園(綾部市広瀬町)として整備
・あやべ市民バス上林線で綾部市街地からもアクセス可能
田辺街道、若狭街道、綾部街道。三つの道が交わる場所に生まれた山家の宿場町は、人と物、そして文化が行き交う綾部の縮図やったんかもしれしまへんなあ。
そんな旅の拠点やった山家に思いを馳せながら、今宵はYUTAKAをぬる燗で盃に注いでみとうおす。陶器の盃にゆらめく琥珀色の酒を口に含めば、米の旨みがじんわりと広がって、街道を歩いた旅人がほっと一息ついた、あの宿場の夜の空気が偲ばれますのや。
ほな、また次回のお楽しみに。
これからもどうぞよろしくお願いします。
FAQ
Q. 山家宿はどこにあるんどすか?
A. 山家はJR山陰本線・山家駅が最寄りで、明治43年(1910年)に開業した歴史ある駅どす。江戸時代には田辺街道・若狭街道・綾部街道が交わる宿場町として栄え、陣屋跡は現在の山家城址公園として整備されとります。
Q. 谷衛友とはどんなお人どすか?
A. 谷衛友は戦国から江戸初期の武将で、羽柴秀吉に仕えた後、関ヶ原の戦いでは西軍にありながら田辺城包囲戦で実質的に戦わず、戦後は本領を安堵されて山家藩初代藩主となりました。谷家は13代にわたり明治維新までこの地を治めたんどす。
Q. 三つの街道とはなんどすか?
A. 山家では、田辺(舞鶴)と京都を結ぶ田辺街道のほか、上林や若狭へ向かう若狭街道、綾部城下へ続く綾部街道の三つが分岐しとりました。多くの物資と人が行き交う、交通と経済の要衝やったんどす。
Q. YUTAKAはどう味わうのがええ?
A. 山家の宿場町に思いを馳せながら、YUTAKAはぬる燗で味わうのがおすすめどす。陶器の盃に注げば、旅人がひと息ついた宿場の夜のように、米の旨みがじんわりと広がり、心も体もほっと温まりますえ。
京都 丹後