海の京都物語 第419話 鯨を迎えた伊根湾、小間口十八艘・大間口三十八艘で海を塞いだ二百五十七年、鯨供養の祈りも忘れんかったんどす|日本酒YUTAKA(豊)

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 海の京都物語、気づけばもう第419話を数えるようになりました。舟屋の町として知られる伊根町のことは、これまでも浦嶋神社の伝説や伊根祭、寒ブリ漁やへしこの食文化まで、幾度となくこの連載で綴ってきました。

 せやけど今日は、舟屋の裏側で静かに眠っていた、伊根湾のもうひとつの顔をお話しさせてください。江戸時代、この小さな湾では鯨を追い込んで獲る漁が、実に二百五十七年もの間続いていたんどす。

🐋天文の頃に始まった、湾をふさぐ漁

 伝承によると、伊根浦の捕鯨は天文年間(1532〜1555年)に始まったとされ、当初は亀島村と平田村が漁の権利を分け合っていたそうどす。せやけど明暦2年(1656年)以降は、亀島村が単独でこの漁を担うようになったと伝わります。

 漁の記録は「鯨永代帳」という帳面に残され、1656年から昭和初期にかけての漁獲が確かめられるといいます。一つの帳面に三百年近い歳月が刻まれていると思うと、湾の時間の長さにくらくらしてしまいます。

🚣小間口十八艘、大間口三十八艘で海を塞ぐ

 記録によれば、1656年から1913年までの257年間に、湾に迷い込んだ鯨はおよそ355頭にのぼったそうどす。漁師たちは青島の左右、小間口に18艘、大間口に38艘もの木造舟を並べて湾の出口をふさぎ、鯨を大浦の入江へと追い込みました。

 仕留めには「鯨モリ」という専用の銛が使われ、捕獲のあとは村総出で作業にあたったと伝えられます。小さな入江いっぱいに人と舟がひしめき合う光景を思うと、今の静かな伊根湾からは想像もつかん迫力やったんやろなと感じます。

🙏恵みに感謝し、鯨の霊を弔う

 鯨は肉だけでなく骨や油にいたるまで余すところなく利用され、浦の暮らしを支える大きな恵みやったそうどす。せやけどそれと同時に、僧を招いて鯨の霊を弔う供養も欠かさず行われていたと伝わっています。

 獲ることと悼むこと、そのふたつが同じ浜で当たり前のように重なっていたんやなと思うと、静かに手を合わせたくなるような気持ちになります。

🐬鯨が去った今も、湾はいのちを育む

 現在の伊根湾は、青島が天然の防波堤となって波穏やかな漁場として知られ、岩ガキやマダイの養殖、クロマグロを育てる「伊根マグロ」の養殖なども行われています(養殖開始の詳しい年などは要確認どす)。鯨の姿は見えんようになっても、湾がいのちを育む力は今も変わらんのやなと感じます。

 もしかしたら今日も、伊根湾めぐり遊覧船の上から、かつて舟がひしめいた海面を知らん顔で渡っていく観光客がおるかもしれません。その下に257年の記憶が眠っていると知ったら、きっと景色の見え方が変わるはずどす。

📍行っ得メモ

・伊根湾めぐり遊覧船:京都丹後鉄道「天橋立」駅から丹海バス(伊根・経ヶ岬方面行き)で約50分、「伊根湾めぐり・日出」バス停下車すぐ
・乗船時間は約25分、伊根湾をぐるりと周遊しながら舟屋群と青島を海上から望めます
・料金やダイヤは季節・時期により変動するため、乗船前に最新情報を要確認どす
・伊根湾周辺は駐車場が限られるため、道の駅舟屋の里伊根などの駐車場の利用がおすすめどす

 二百五十七年のあいだ、浜の人たちは鯨を迎え、見送り、感謝し続けてきました。舟屋の写真には写らんその歴史を知ってから伊根湾を眺めると、波の下にまだ何かが息づいているような、不思議な気持ちになります。

 そんな伊根湾の物語を肴に、今宵は日本酒YUTAKA(豊)をぬる燗でいただいてみとうなりました。切子のぐい呑みに注いだ琥珀がかった酒を、ふうっと湯気越しに眺めながら口に含むと、ふくよかな米の甘みの奥に、すっと引き締まる余韻が広がります。かつて漁師たちが命がけで湾を渡っていたように、盃の中の酒もまた、静かに深い味わいへと渡っていくような、そんな一杯どす。

 ほな、また次回のお楽しみに。
 これからもどうぞよろしくお願いします。

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FAQ
Q. 伊根湾の捕鯨はいつ頃始まったんどすか?
A. 伝承では天文年間(1532〜1555年)に始まったとされ、当初は亀島村と平田村が漁の権利を分け合っていました。明暦2年(1656年)以降は亀島村が単独でこの漁を担うようになり、「鯨永代帳」という記録が残されました。この帳面により、1656年から昭和初期までの漁獲の様子をたどれるといわれています。

Q. 257年間でどれくらいの鯨が獲れたんどすか?
A. 記録によると、1656年から1913年までの257年間に、伊根湾に迷い込んだ鯨はおよそ355頭にのぼったとされます。漁師たちは青島の左右に木造舟を並べて湾の出口をふさぎ、大浦の入江へ鯨を追い込む「鯨モリ」を使った漁を行っていたと伝えられています。

Q. 捕った鯨はどのように弔われたんどすか?
A. 鯨は肉や骨、油にいたるまで余すところなく利用され、浦の暮らしを支える大切な恵みでした。それと同時に、僧を招いて鯨の霊を弔う供養も欠かさず行われていたと伝わっています。命をいただくことへの感謝と祈りが、当たり前のように漁の中に息づいていたんどすな。

Q. YUTAKAはどんな飲み方がおすすめどすか?
A. ぬる燗で、切子のぐい呑みなど季節を感じる酒器でいただくのがおすすめどす。ふくよかな米の甘みと、すっと引き締まる余韻のバランスが、湾の歴史に思いを馳せながらゆっくり味わう時間によく合います。静かな夜に、伊根の海の記憶を肴にしてみておくれやす。

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