海の京都物語 第126話 明倫館正門どすなあ、西舞鶴の学び舎の記憶|日本酒YUTAKA(豊)

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 前回は田辺城資料館で、田辺藩の歴史や資料をたっぷり拝見させてもろたなあ。今回はそこからちょっと足を延ばして、藩校「明倫館」の正門を訪ねてみようと思うんどす。

 舞鶴市北田辺にある明倫小学校、その校門をくぐる前に、ふと足が止まってしまう古い門があるんどす。瓦屋根に木の風合い、どこか凛とした佇まいで、「これ、ただの学校の門とちゃうな」ちゅう気配が漂うてます。今日はこの明倫館正門にまつわる話どすえ。

🏯明倫館ってどんな藩校やったん

 明倫館は、丹後田辺藩(舞鶴藩)の藩校どす。天明年間、第6代藩主・牧野宣成はんが「明倫斎」として学問所を開いたんが始まりやそうどす。

 その後、文久年間に学舎を改築して、名前も「明倫館」と改めはったんやて。「明倫」いう言葉には「人の守るべき道義を明らかにする」いう意味が込められとるそうどす。

 藩士の子弟が集うて学ぶ、田辺藩にとっての学問の中心地やったんやなあと思うと、ちょっと背筋が伸びる気がしますわ。

📚漢学だけやない、洋学も算術も

 安政年間になると、漢学に加えて洋学・医学・算術・書・習礼まで取り入れられ、百名を超える若者が学んでたそうどす。

 幕末の激動の時代、田辺藩でも新しい知識を積極的に取り入れようちゅう気風があったんやろなあ。剣術や礼儀作法だけやのうて、実学まで幅広う教えとった、そないな懐の深さを感じるんどす。

🚪正門だけが今に残るわけ

 明治5年の学制発布に伴い、明倫館の土地と建物を引き継いで、庶民のための学校「明倫小学校」が誕生し、明治6年4月13日に開校したんどす。

 校舎はその後何度も建て替えられて、昭和56年からの2年間でも大きな改築があったんやけど、正門だけは明倫館当時のものがそのまま移築されて残されたんどすて。藩校の面影を今に伝える、いわば時を超えた生き証人やなあと思うんどす。

🎓静かに佇む正門、その意味

 普段は門が閉まったままなんやけど、入学式や卒業式にはこの正門が開かれて、記念写真を撮らはる親子さんの姿も見られるそうどす。

 田辺城跡のすぐ近く、西舞鶴の町なかにひっそりと立つこの門は、地元の子どもたちにとって「学び」の原点を無言で語りかける存在なんやろなあ。文化財として正式に指定されとるかどうかは、はっきりした記録を確認できひんかったんやけど、地域の人らにとって大切な史跡として大事にされとるんは間違いなさそうどす。

📍行っ得メモ

・所在地:京都府舞鶴市北田辺128-1(明倫小学校内)
・アクセス:JR西舞鶴駅から徒歩約5~10分
・田辺城跡のすぐ近く
・普段は閉門、入学式・卒業式など特別な日に開門

 藩校の学び舎からただ一つ残った正門、そこに込められた「学び」への思いを感じながら、西舞鶴の町をまた歩いてみとうなりましたわ。

 この明倫館正門を眺めながら味わうんやったら、純米大吟醸YUTAKA(豊)は冷や、10℃くらいに冷やして、すっきりとした薄張りのグラスでいただくのがよろしおす。凛とした門構えのように澄んだ吟醸香と、後味のキレのある淡麗な味わいが、静かな学び舎の空気によう合いますんどす。

ほな、また次回のお楽しみに。

これからもどうぞよろしくお願いします。

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FAQ
Q. 明倫館とはどんな学校やったんどすか?
A. 田辺藩(丹後田辺藩)の藩校どす。天明年間に第6代藩主・牧野宣成はんが「明倫斎」として学問所を開いたんが始まりで、文久年間に学舎を改築して「明倫館」と名前を改めはったそうどすえ。藩士の子弟が学ぶ、藩の学問の中心地やったんどす。

Q. 正門はなんで今も残っとるん?
A. 明治の学制発布で明倫館の土地建物を引き継いで明倫小学校ができた際、そのまま使われ続けたんどす。校舎は何度も建て替わってますけど、正門だけは藩校当時のものを移築して大事に残してはるんどすえ。

Q. 明倫館ではどんな勉強しとったん?
A. 漢学が中心やったんやけど、安政年間には洋学・医学・算術・書・習礼まで取り入れられ、百名を超える若者が学んでたそうどす。幕末らしい、幅広い実学志向の学び舎やったみたいどすなあ。剣術や礼儀だけやのうて、新しい知識にも積極的やったんどすえ。

Q. 正門はいつでも見学できるん?
A. 普段は閉まってはりますけど、外から眺めることはできますえ。入学式や卒業式には門が開かれて、記念写真を撮らはる親子さんの姿も見られるそうどす。訪ねる時は小学校の授業の妨げにならんよう静かにどうぞ。

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