海の京都物語 第141話 舞鶴はなんで海軍の街になったんどすなあ|日本酒YUTAKA(豊)

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 前回は高雄温泉光の湯で、舞鶴の山あいの湯にゆっくり浸かった話をしましたなぁ。舞鶴市編もいよいよ終盤、第141話まで来てしもたんどす。今日はちょっと肩の凝る言葉かもしれまへんけど、舞鶴が「海軍の街」になった、そもそもの始まりのお話をさせてもらいますわ。

 これまでの話でも、海軍記念館や東郷邸、引揚げの記憶なんかに触れてきましたやろ。せやけど、そもそもなんで舞鶴に海軍の拠点ができたんか、その根っこの部分はまだちゃんとお話ししてへんかったんどす。今日はその「鎮守府」いう言葉の意味から、じっくり紐解いていこ思います。

 実は舞鶴のこの歴史、国から「日本遺産」いうお墨付きをもろてる、れっきとした物語でもあるんどすえ。横須賀・呉・佐世保、そして舞鶴。全国に4つしかない軍港都市の一つに、うちの舞鶴が選ばれた理由からお話ししまひょ。

⚓四つの軍港都市と明治政府の構想

 明治の新しい政府は、近代的な海軍を作り上げるために、日本の沿岸をいくつかの「海軍区」に分けて、それぞれに拠点となる鎮守府を置く計画を立てはったんどす。まず神奈川の横須賀に鎮守府ができて、続いて瀬戸内海の呉と、九州の佐世保が明治22年に開庁しましたんや。

 せやけど、この時点ではまだ日本海側には海軍の拠点があらしまへんでした。ロシアをはじめとする北の脅威に備えるには、太平洋側だけやのうて、日本海側にもしっかりした軍港が要る言われるようになってきたんどす。

 そこで白羽の矢が立ったんが、うちの舞鶴どした。舞鶴湾は湾口が狭うて敵からの守りに適しとって、湾の中は波が穏やかで、たくさんの軍艦がゆったり停泊できる。そんな地形の良さが、日本海側で唯一の鎮守府に選ばれた大きな理由やったんどすえ。

🚢舞鶴鎮守府開庁、その日のこと

 舞鶴鎮守府が正式に開庁したんは、明治34年(1901年)10月1日のことどす。初代の司令長官には、のちに日本海海戦で名を轟かせはる東郷平八郎中将が任命されはりました。前に東郷邸のお話をした、あの東郷さんどすなぁ。

 静かな漁村やった舞鶴に、いきなり国家の一大プロジェクトが降ってきたようなもんどす。短い間に最新の技術と莫大な予算がつぎ込まれて、水道や鉄道いうたインフラも急ピッチで整えられていった言いますから、当時の舞鶴の人らはさぞかしびっくりしはったことどっしゃろ。

🏛日本遺産「鎮守府」ものがたり

 時代はぐっと下って、平成28年(2016年)4月25日、舞鶴・横須賀・呉・佐世保の4つの軍港都市が、揃うて国から「日本遺産」に認定されはったんどす。ストーリーの名前は「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」いいますんや。

 4つの街がそれぞれ別々に頑張ってきた歴史やのうて、「一つの国家プロジェクトとして、同じ時代に生まれた4つの軍港都市」いう大きな物語として、まとめて評価されたんがこの日本遺産のええとこどす。舞鶴だけやのうて、遠く離れた横須賀や呉、佐世保とも、根っこで繋がっとる思うと、なんや不思議な気持ちになりますなぁ。

🧱赤れんがと引揚げ、舞鶴の街の記憶

 この鎮守府開庁があったからこそ、今もようけ残ってる赤れんが倉庫群も生まれましたし、戦後の引揚げの舞台にもなったんは、前にお話しした通りどす。一つの「鎮守府開庁」いう出来事が、舞鶴の街並みにも、人の暮らしにも、ずっと長い影を落としてきたんやなぁと、改めて思わされますわ。

 軍港として栄えた光の部分と、戦争や引揚げいう重たい記憶と、その両方をひっくるめて舞鶴の街は今も生きとります。日本遺産いう形で光を当ててもろたんは、そんな複雑な歴史を、ちゃんと未来に伝えていくための一歩なんやろなぁ思いますんや。

📍行っ得メモ

・日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴」は平成28年(2016年)4月25日に文化庁から認定
・舞鶴市内の構成文化財の詳しい紹介は日本遺産ポータルサイト(STORY #035)で公開されている
・舞鶴鎮守府の歴史は舞鶴市公式ホームページでも「開庁120年」特集として紹介されている

 鎮守府いう漢字を見るとちょっと難しそうに思えるけど、要は「舞鶴が海の京都の中でも、日本の近代化を支えた特別な街どす」いうことなんやなぁと、改めて胸に落ちましたわ。次はいよいよ田辺城のお話どすけど、その前にこの鎮守府の物語、しっかり覚えといてほしいんどす。

 こんな重たい歴史を語った夜は、純米大吟醸YUTAKA(豊)を冷酒で、ぐい呑みよりちょっと背の高いガラスの盃でいただくのが好きどす。10度くらいにきりっと冷やすと、鎮守府があった時代の凛とした空気を思わせるような、澄んだ吟醸香と、すっと喉を通る綺麗な後味が広がって、静かに歴史に思いを馳せる時間にぴったりなんどすえ。

ほな、また次回のお楽しみに。

これからもどうぞよろしくお願いします。

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FAQ
Q. 舞鶴鎮守府はいつ開庁したんどす?
A. 明治34年(1901年)10月1日に開庁して、初代の司令長官には東郷平八郎中将が就かはったんどす。日本海側では唯一の鎮守府で、舞鶴が海軍の街として歩み始めた、記念すべき節目の日やったんどすえ。

Q. なんで舞鶴が選ばれたんどす?
A. 舞鶴湾は湾口が狭うて守りやすく、湾内は波静かでぎょうさんの軍艦が停泊できる地形やったからどす。対ロシアなど日本海側の防衛を固める必要もあって、4つ目の鎮守府に舞鶴が選ばれたんやそうどすえ。

Q. 日本遺産「鎮守府」ってなんどす?
A. 横須賀・呉・佐世保・舞鶴いう4つの軍港都市の歴史をまとめて、平成28年に文化庁が認定した日本遺産どす。舞鶴一つやのうて、4つの街が同じ時代を生きた物語として評価されとるんが特徴どすえ。

Q. 赤れんがや引揚げとも関係あるんどすか?
A. おおありどすえ。鎮守府ができたことで赤れんが倉庫群が建てられて、戦後は引揚げの拠点にもなりましたんや。今の舞鶴の街並みは、この鎮守府開庁が始まりやったと言うても過言やあらしまへん。

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