海の京都物語 第190話 丹後富士と呼ばれる建部山に、一色氏の山城と明治の要塞、ふたつの記憶がひっそり重なってますのどす|日本酒YUTAKA(豊)

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 海の京都物語も舞鶴市編は第150話で一区切りつけさせてもろたんどすけど、その後は綾部、福知山、京丹後、伊根とあちこち巡らせてもろて、気ぃついたらまた舞鶴に舞い戻ってまいりましたんえ。

 以前、大野辺緑地のお話をさせてもろた時に、その向こうにそびえる建部山のことをちらっと触れさせてもろたんを覚えといやすやろか。今日はその建部山そのものに登って、山に眠る二つの時代のお話をさせてもらいますえ。

🏯一色氏の詰城やった中世の山城

 建部山は舞鶴湾の西側にそびえる標高315メートルほどのお山で、姿の良さから「丹後富士」とも呼ばれてますのどす。ここにはかつて、丹後の守護やった一色氏の詰城、建部山城が築かれていたと伝わってますんえ。

 築城の詳しい年代や築城者については文献によって伝えが分かれるところもあるんどすけど(要確認)、南北朝の時代から一色氏が丹後を治めた戦国の世にかけて、この山は長らく丹後の要として使われてきたようどす。今も山中には曲輪や土塁の跡が残ってますのや。

 せやけど天正年間、織田信長の命を受けた細川藤孝(幽斎)が丹後に攻め入り、建部山城も攻め落とされてしもたと伝わってますのどす。その後、藤孝は平地の田辺城を新たな拠点に定めましたよって、山の上の建部山城は静かに廃城となったんどすなあ。

⚓明治の要塞、日露開戦に備えて

 時代はぐっと下って明治34年(1901年)8月、建部山の山頂には今度は「建部山堡塁砲台」いう軍事施設が竣工しましたんえ。同じ年の10月に開庁した舞鶴鎮守府に先立って造られた、舞鶴要塞の一部どす。

 ここには12センチのカノン砲が4門据えられ、最大射程は7キロにも及んだそうどす。ロシアとの緊張が高まるなか、舞鶴の軍港を海側から守るための備えやったんどすけど、幸いにも実戦で使われることはなかったそうえ。

 今ではこの建部山堡塁砲台跡、旧舞鶴要塞の関連施設として、日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴」の構成文化財の一つにも数えられてますのどす。

🥾ふたつの時代が重なる山道

 建部山の中腹から山頂にかけては、中世の曲輪跡と明治の煉瓦・コンクリート造りの砲台跡が、同じ斜面にひっそり同居してますのや。登山道はもともと軍用の道やったよって、急な勾配は少のうて、割合歩きやすうなってますんえ。

 木々の合間からふと現れる砲座の跡を眺めてたら、南北朝の武士も、日露開戦を控えた兵隊さんも、同じこの山道を歩いたんやろかと、時代を超えた不思議な気持ちにさせられますのどす。

📍行っ得メモ

・京都丹後鉄道 四所駅から登山口まで徒歩約25分
・舞鶴若狭自動車道 舞鶴西ICから車で約9km
・登山口から山頂まで約3km、徒歩で片道1時間20分ほど
・登山口付近に無料駐車場あり(台数は要確認)
・遺構は整備されておらず藪に覆われた場所も多いため、歩きやすい服装で無理のない範囲での見学がおすすめどす

 うちも今回、地図を片手に建部山を眺めながら、一つの山にこんなにも重なる時代があったんやなあと、しみじみ感じ入りましたんどす。舞鶴いうたら軍港のイメージが強おすけど、その足元にはもっと古い、丹後の武士たちの記憶も静かに眠ってますのやなあ。

 そんな建部山の静かな山道を思い浮かべながら、純米大吟醸YUTAKA(豊)はちいと冷やして十度前後、すっきりとした温度でいただくのがようございますんえ。すっと背の高いお猪口でひと口含むと、山を渡る風のように涼しい吟醸香が鼻に抜けて、その奥に米の旨みがどっしりと構えとります。中世の武士も、明治の兵隊さんも知らんかったやろうこの一杯を、山の物語に重ねていただくんも一興どすなあ。

ほな、また次回のお楽しみに。

これからもどうぞよろしくお願いします。

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FAQ
Q. 建部山城とはどないなお城どすか?
A. 建部山は標高315メートルほどの、丹後富士とも呼ばれるお山どす。かつて丹後の守護やった一色氏の詰城として築かれたと伝わり、南北朝時代から戦国時代にかけて使われ、天正年間に細川藤孝の攻略を受けて廃城になったとされてます。曲輪や土塁の跡が今も山中に残ってますのどす。

Q. 建部山堡塁砲台跡って何どすか?
A. 明治34年(1901年)、舞鶴鎮守府の開庁に先立って建部山の山頂に築かれた砲台跡どす。12センチのカノン砲4門が据えられ、最大射程は7キロ、ロシアとの緊張に備えた舞鶴要塞の一部どしたが、実戦で使われることはなかったそうえ。今は日本遺産「鎮守府」の構成文化財の一つどす。

Q. 登山道の様子やアクセスは?
A. 登山口は喜多地区にあり、京都丹後鉄道 四所駅から徒歩約25分、舞鶴若狭自動車道 舞鶴西ICから車で約9kmどす。山頂までは約3km、徒歩で片道1時間20分ほど見ておくとよろしおす。道はもともと軍用道路やったため、勾配は比較的緩やかどすえ。

Q. 見学する時に気をつけることは?
A. 建部山城や砲台の遺構は整備が進んでおらず、藪に覆われた箇所も多いため、歩きやすい服装と靴でお出かけやす。無理に藪の中まで踏み込まんと、案内板の周りから眺めるだけでも十分に時代の重なりを感じられますのどす。

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