海の京都物語 第217話 千本格子の向こうに残る、宮津新浜の花街の面影を訪ねて北前船の賑わいと祇園に次ぐ格式を偲ぶ路地歩きどす|日本酒YUTAKA(豊)

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 海の京都物語も気ぃついたら217話どすなあ。前々には宮津節や宮津城下町のお話、その前には旧三上家住宅の重厚な佇まいもご紹介しましたなぁ。今日はその城下町の中でも、ちょっと艶っぽい歴史を持つ一角へ足を運んでみますえ。

 宮津市の新浜言うたら、かつて北前船の船乗りたちで賑わった花街どす。旧三上家のような豪商の屋敷とはまた違う、千本格子の並ぶ町並みが今も残ってますのや。今日はその新浜の成り立ちと、今に伝わる風情をじっくりお伝えしますなぁ。

🌊新浜の生まれた海辺の埋め立て地

 新浜は、江戸時代の文化14年(1817年)、須津村の浅七いう人物を頭取に、町中の男子が総出役で行った大がかりな埋め立てによって生まれた土地どす。大手川の河口の砂で埋め立てられたこの一帯は、できた当初は「魚屋町新道」「西新道」いう名で呼ばれてましたんやて。

 海を埋め立ててまで新しい土地を作らなあかんかったくらい、当時の宮津の城下町は賑わいに溢れてたいうことどすなぁ。北前船が寄港する港を抱えたこのまちに、新たな土地が生まれたその瞬間から、新浜の物語は始まりましたんどす。

🏮祇園に次ぐ格式と謳われた花街の誕生

 天保13年(1842年)には、それまで町中に点在してた置屋をこの新浜に集めるようにとのお達しが出て、花街としての新浜が本格的に成立しましたんどす。北前船で全国を渡り歩いた船乗りたちも訪れるようになり、まちは大いに賑わいましたんえ。

 その格式は「祇園に次ぐ」とまで言われるほどやったそうどす。地唄の宮津節にも「二度と行くまい丹後の宮津、縞の財布が空となる」と歌われるほど、旅人の懐を軽うしてしまう魅力があったんやとか。それだけ艶やかで、名の知れた花街やったいうことどすなぁ。

🪟今に残る千本格子の町家

 新浜の町並みを歩くと、店先に千本格子をしつらえた茶屋や置屋が建ち並んでいた通りの面影が、今も所々に残ってますのや。宮津市字新浜には、そうした千本格子の町家が現存しており、海の京都観光圏のスポットとしても紹介されてますんどす。

 格子越しに差し込む光の具合ひとつで、昼と夜とでまるで違う表情を見せる町家どす。かつて三味線の音や芸妓はんの笑い声が漏れ聞こえてきたやろう通りを、今は静かに歩けるいうのも、また一興どすなぁ。

🎭移転と復興、昭和の賑わい

 新浜の花街は、一度商売替えのお達しが出て移転した時期もあったようどすが(移転の年代は資料によって文久3年・慶応3年と差があり要確認どす)、明治11年(1878年)には再び許可が下り、新浜に賑わいが戻りましたんえ。

 昭和の時代には、新浜通りとその周辺の路地に豪華な旅館や料亭、お茶屋がずらりと並び、お正月にはまともに歩けへんほどの人出やったそうどす。検番の2階には大きな舞台のある歌舞練場もあって、芸妓はんたちの稽古の音が響いてたんやろなぁ。

📍行っ得メモ

・新浜の町家:京都府宮津市字新浜3017番地
・新浜が花街として本格的に成立したのは天保13年(1842年)、その土地自体の埋め立ては文化14年(1817年)
・花街移転の年代は資料によって差があり要確認(文久3年説・慶応3年説あり)
・拝観時間・内部見学の可否・料金など詳細は宮津市/海の京都観光圏へ要問合せ
・現在も人が暮らす町並みのため、写真撮影や散策の際は静かにマナーを守って

 埋め立て地から生まれ、船乗りたちの夢と艶を乗せて栄え、幾度かの移り変わりを経てもなお千本格子の町家がそこに立ってる。新浜の風景を眺めてると、まちの記憶いうもんは、こないして静かに残っていくんやなぁと、しみじみ思わされますなぁ。

 新浜の路地をひと巡りした後は、冷やした純米大吟醸KYOTO YUTAKAを、切子の盃でいただくのがようおすなあ。きりっと冷えた喉越しの奥に、ふわりと広がる吟醸香。かつて格子越しに交わされたやろう粋なやり取りを思いながら、静かに味わうひと口が、また格別どすえ。

ほな、また次回のお楽しみに。

これからもどうぞよろしくお願いします。

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FAQ
Q. 新浜はいつ頃にできた町どすか?
A. 新浜は江戸時代の文化14年(1817年)、須津村の浅七を頭取に町中の男子総出役で行われた大規模な埋め立てによって生まれた土地どす。当初は「魚屋町新道」「西新道」と呼ばれ、天保13年(1842年)に置屋が集められて花街として成立したと伝わってますんえ。

Q. 新浜はどんな花街やったんどす?
A. 北前船の寄港地として栄えた宮津にあって、新浜は「祇園に次ぐ格式」とまで言われるほどの花街やったそうどす。地唄の宮津節にも歌われるほど旅人を惹きつけましたが、当コラムでは町並みや文化のご紹介にとどめ、詳しい遊興の様子までは触れておりません。

Q. 今も町家は見られますのんか?
A. はい、宮津市字新浜には千本格子をしつらえた町家が今も残っており、海の京都観光圏の観光スポットとしても紹介されてますんどす。ただし現在も人が暮らす町並みどすさかい、内部の見学可否や具体的な公開情報は事前に宮津市やお問い合わせ先にご確認いただくのがようおす。

Q. 宮津節や旧三上家住宅とはどう違いますのん?
A. 宮津節は宮津の城下町全体を、旧三上家住宅は豪商の屋敷そのものを取り上げた回どしたが、今回の新浜は花街として発展した一区画に焦点を当てましたんえ。同じ宮津の歴史でも、埋め立て地に生まれた花街ならではの千本格子の町並みや、格式の高さをお楽しみいただける内容どす。

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