海の京都物語 第346話 戦国時代の宮津城から生き残った太鼓門が、今も宮津小学校の正門として子どもらを毎朝迎えてはるんどす|日本酒YUTAKA(豊)

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 「海の京都物語」、気づけば346話どす。前回までで天橋立の名勝も、宮津節も、三上家住宅の酒蔵も、ひととおりご紹介してきましたなぁ。せやけど宮津いうまちには、まだまだ知らんお宝がようけ眠ってますんやで。

 今日案内するんは、戦国時代のお城の一部が、形を変えて今も現役で使われてる、ちょっとびっくりなお話どす。舞台は宮津城の遺構「太鼓門」。今は宮津小学校の正門として、毎朝子どもらを迎えてはるんどすえ。

🏯 信長の命で築かれた宮津城

 宮津城が築かれたんは天正8年(1580年)のことどす。織田信長の命を受けた細川藤孝・忠興の父子が、それまで構えとった八幡山城(宮津市)から移り、宮津湾を見下ろす平地に新しいお城を建て始めはったんどす。

 信長が藤孝に宛てた黒印状には、明智光秀とも相談して、丈夫な城にするよう命じる文言が残っとるそうどす。翌天正9年3月、藤孝・忠興と、のちに細川ガラシャと呼ばれることになる玉子が、できたばかりの新城へ入ったと伝わってますんやで。

🥁 太鼓門、その名の由来

 太鼓門は、市街地化でほとんど姿を消してしもた宮津城の中でも、数少ない現存遺構のひとつどす。もとは三の丸南東の枡形虎口にあった二の門で、今の宮津幼稚園のあたりに建っとったそうどす。

 「太鼓門」いう名前は、江戸時代の藩主・青山氏の頃、門の内側に時を知らせる太鼓を納めた太鼓櫓が設けられとったことに由来するそうどす。お城の時刻を知らせる太鼓の音が、城下町にも響いとったんやろなぁ。

🎒 廃城を生き延び、小学校の門に

 明治になってお城が取り壊された後も、太鼓門だけは解体を免れて、宮津小学校の正門として使われることになったそうどす。その後、老朽化が進んで一度は裏門に移されてしもたんどす。

 せやけど大手川の河川改修にあわせて、宮津商工会議所や市民の方らが中心となって宮津城の城壁を復元する取り組みが進められ、太鼓門も解体して補修する工事が行われたんどす。京都府丹後土木事務所の「大手川だより」によると、工事は裏門からの解体を終えて補修に入り、完成は平成22年3月の予定、春には子どもらがくぐって登校できるようになる見込みやったそうどす。

 今では太鼓門は、再び宮津小学校の正門として現役どす。ランドセルを背負うた子どもらが、毎朝あたりまえのように戦国時代のお城の門をくぐって学校へ入っていく。そんな何気ない光景が、実はものすごい歴史の重みを背負うてるんどすなぁ。

🧱 よみがえった大手川の白壁

 太鼓門のすぐそば、大手川沿いには城壁をイメージした石積み風の護岸が復元されとって、「しらかべのみち」として親しまれてますんや。

 白壁には矢玉を放つための「狭間(さま)」いう小さな穴も再現されとって、外側を狭く内側を広うに作るんが本来の形やそうどす。復元工事のときには、職人さんらがどっちを表にするか話し合いになったいうエピソードも伝わってますんやで。川沿いを歩きながら、ふと手を止めて覗き込んでみるのも一興どす。

📍行っ得メモ

・太鼓門は京都丹後鉄道 宮津駅から大手川沿いを歩いていける距離にあり、現在も宮津小学校の正門として使われてます
・学校の施設につき、敷地内への立ち入りはご遠慮を。大手川沿いの道から外観を見学するのがマナーどす
・門のそばの「しらかべのみち」は大手川改修にあわせて整備された散策路で、復元された城壁や狭間もあわせて楽しめます
・登下校の時間帯は子どもらの通学路にもなってますさかい、車の通行や写真撮影には十分気ぃつけておくれやす

 お城の建物いうたら、天守閣みたいな立派なもんばかり目がいきがちどすけど、こうして暮らしの中にそっと溶け込んで生き続けとる遺構もあるんやなぁと、しみじみ思いましたわ。毎朝その下をくぐる子どもらにとっては、太鼓門はただの通学路の門かもしれません。せやけどその一枚の扉の向こうには、信長や光秀、ガラシャの時代まで続く長い物語が隠れてるんどすなぁ。

 そないな歴史の重みに思いを馳せながら呑むなら、純米大吟醸YUTAKAはやっぱり常温か、ぬる燗がよう似合いますなぁ。ぽってりとした盃にゆっくり注いで、口に含むと米の旨みがふわっと広がって、すっと喉を通っていく。何百年も形を変えながら今に残る太鼓門みたいに、YUTAKAもまた、丹後の米と水と人の手が積み重なって今の味に行き着いとるんやと思うたら、盃を傾ける手にも、ちょっと背筋が伸びる気がしますんやで。

ほな、また次回のお楽しみに。

これからもどうぞよろしくお願いします。

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FAQ
Q. 太鼓門とはどんな建物どすか?
A. 太鼓門は宮津城の数少ない現存遺構のひとつどす。もとは三の丸南東の枡形虎口にあった二の門で、江戸時代に時を知らせる太鼓を納めた太鼓櫓が設けられたことからその名がついたと伝わってます。明治の廃城後は宮津小学校の正門となり、現在もその役目を続けてますんやで。

Q. どうして太鼓門という名前なんどす?
A. 江戸時代、宮津藩主やった青山氏の頃に、門の内側へ時刻を知らせる太鼓を納めた太鼓櫓が設けられたことに由来すると伝わってます。お城の太鼓の音が、城下町に時を告げとったんやろうと想像すると、なんや風情がありますなぁ。

Q. 太鼓門は今どうなってるんどす?
A. 明治の廃城後は宮津小学校の正門として使われてましたが、老朽化で一度裏門に移されてました。大手川の河川改修にあわせて解体・補修され、平成22年春ごろに再び正門として復活したそうどす。今も子どもらが毎朝くぐって登校してはります。

Q. 太鼓門を見学してもええんどすか?
A. 太鼓門は今も宮津小学校の正門として使われとるので、敷地内には入れません。大手川沿いの「しらかべのみち」から外観を眺めたり、復元された城壁の狭間を見比べたりするのがおすすめどす。登下校の時間帯は子どもらの通学路にもなってますさかい、車や写真撮影にはお気をつけておくれやす。

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