海の京都物語 第157話 由良川舟運と光秀はんの治水魂、福知山を海と京都盆地の要にした暴れ川との付き合い方を辿るお話どす|日本酒YUTAKA(豊)

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 海の京都言うたら海沿いの町ばかり思わはるかもしれまへんけど、今日は内陸の福知山市からのお話どす。福知山は舞鶴湾から由良川をずーっと遡った先にある町で、実はこの川があったからこそ、丹後の海と京都盆地をつなぐ大きな水運拠点として栄えたんどす。

 由良川言うたら水害の多い川としても知られてますけど、それは裏を返せば、それだけ大きい水量を持つ川やったいうことどす。この川の恵みと恐ろしさ、両方と向き合うてきた福知山の歴史を、今日はじっくり辿ってみとうおすえ。

🚣 由良川舟運、福知山と由良を結んだ道

 福知山城下絵図を見ますと、今の音無瀬橋のあたりが由良川の代表的な舟着場やったことが分かっとります。福知山から日本海側の由良までは川筋でおよそ45キロ、下りは一日、上りは二日かかったそうどす。

 上りの舟には塩や酒、油粕、干し魚、材木や薪、石なんぞ丹後の産物が積まれ、下りの舟には福知山藩領で穫れた米や麦、大豆、桐の実、漆の実、つるし柿なんぞが積まれとりました。海のもんと山のもんが由良川一本でやり取りされとったんどすなあ。

 江戸後期には舟運がいちばん賑おうて、福知山藩は「船持定法」いう規則まで定めて、舟の運航をきちんと管理しとったそうどす。由良川はまさに、内陸の福知山にとって海への一番の通り道やったんどす。

🌾 光秀はんが挑んだ由良川の治水

 福知山城を築いたんは、あの明智光秀はんどす。天正7年(1579年)頃に築城した光秀はんは、由良川がたびたび氾濫するんを見て、城下を守るための治水にも力を入れはったそうどす。

 由良川と支流の土師川が合わさる蛇ヶ端いう場所に、天正8年(1580年)頃から堤防を1キロ以上(文献によっては1.5キロとも)にわたって築いて、川の流れそのものを北向きに固定しはったんどす。これが「蛇ヶ端御藪」、通称「明智藪」と呼ばれる場所どす。

 樹齢何百年にもなる榎なんかの大木が生い茂るこの藪は、江戸時代には藩有林として番人まで置いて大事に守られとりました。今も福知山の町なかに、光秀はんの治水への思いがそのまま残っとるんどすなあ。

🚂 舟運の終わり、そして水害との闘い

 そんな由良川舟運も、明治32年(1899年)に国鉄舞鶴線が開通したことで、川を行き来しとった汽船の運航が廃止されてしもうたそうどす。大正の終わり頃には、由良川水運はほとんど姿を消してしもたんどす。

 舟運が終わっても、由良川との付き合いは終わりまへんどした。昭和に入ってからも室戸台風なんぞで大きな水害に見舞われ、そのたび堤防の強化や大野ダムの建設が進められてきたんどす。

 福知山市内には、明治10年代に建てられた町家を活かした「治水記念館」があって、屋根裏に水害時の避難空間や荷揚げ用の滑車を備えた造りが今も見られます。水と共に生きてきた町の知恵が、建物のかたちとして残っとるんどすなあ。

📍行っ得メモ

・音無瀬橋周辺はかつての由良川舟運で代表的な舟着場やった場所どす
・明智藪(蛇ヶ端御藪)は明智光秀が築いた堤防跡で、今も大木の茂る藪として残っとります
・治水記念館は福知山市街地にある明治期の町家を生かした施設で、水害の歴史を今に伝えとります

 舟が運んだ塩や米、光秀はんが築いた堤防、そして幾度もの水害と向き合うてきた月日。福知山いう町は、由良川と共に生き、由良川に鍛えられてきたんやなあと、しみじみ思わされますなあ。

 そないな由良川の恵みに思いを馳せながら、純米大吟醸YUTAKAはぬる燗でいただくのがようおすなあ。ぽってりした徳利から盃へ注げば、すっと喉を通る旨みが、暴れ川と付き合いながらも豊かな実りを育んできた由良川流域の風土を思い起こさせますんや。舟が運んだ丹後の塩をひとつまみ肴に、しみじみ味わいとうおす一献どす。

ほな、また次回のお楽しみに。

これからもどうぞよろしくお願いします。

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FAQ
Q. 由良川舟運はいつ頃盛んやったんどす?
A. 由良川舟運は江戸時代を通じて行われとりましたけど、いちばん盛んやったんは江戸後期どす。福知山と日本海側の由良を結ぶ約45キロの川筋を、下りは一日、上りは二日かけて舟が行き来し、福知山藩も「船持定法」いう規則を定めて運航を管理しとったそうどす。

Q. 舟はどんな荷物を運んでいたんどす?
A. 由良から福知山へ上る舟には塩や酒、油粕、干し魚、材木や薪、石なんぞ丹後の産物が積まれ、福知山から由良へ下る舟には米や麦、大豆、桐の実、漆の実、つるし柿なんぞの農産物が積まれとりました。海と山の恵みを由良川一本でやり取りしとったんどすなあ。

Q. 明智藪てどんな場所なんどす?
A. 明智藪は正式には「蛇ヶ端御藪」いい、明智光秀はんが由良川と土師川の合流点に築いた堤防の跡どす。天正年間、堤防を1キロ以上にわたって築いて川の流れを固定しはった場所で、樹齢何百年もの大木が今も茂っとります。

Q. 治水記念館では何が見られるんどす?
A. 治水記念館は福知山市内にある明治10年代建築の町家を活かした施設どす。屋根裏には水害の際の避難空間や、荷揚げ用の滑車なんぞが備えられとって、由良川と共に生きてきた福知山の水防の知恵を今に伝えとります。

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