海の京都物語 第158話 天橋立をゆったり見下ろす台地に静かに眠る丹後国分寺跡、千三百年前は丹後国府の中心地やったんどすえ|日本酒YUTAKA(豊)

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 「海の京都物語」も気ぃついたら第158話。舞鶴、伊根、丹後、与謝野と海沿いの町々を巡ってきましたが、今回はまた宮津市に戻ってきましたんやわ。天橋立や籠神社、智恩寺と、宮津いうたらようけ名所がありますけど、今日はちょっと目線を変えて、天橋立を静かに見下ろす台地に眠る史跡をご紹介させてもらいますえ。

 その名も「丹後国分寺跡」。国の史跡に指定されとる、奈良時代の一大プロジェクトの跡どす。実はこの場所、単なるお寺の跡やのうて、古代丹後の政治の中心地やったかもしれん、いう話もあるんどすえ。さっそく、その歴史を紐解いてみまひょ。

🏛️天平の詔から生まれた大伽藍どす

 時は天平十三年(741年)。聖武天皇が「国分寺建立の詔」を発して、全国津々浦々に国分寺・国分尼寺が建てられることになりましたんや。丹後国分寺も、そのひとつとして誕生しましたんどす。当初は七重塔を備えた大伽藍として構想されとったそうで、都からずいぶん離れたこの丹後の地に、そないに立派なお寺が建てられたんは、丹後がそれだけ重要な国やったいう証やと思いますわ。

 国分寺があった台地に立ってみると、眼下には阿蘇海が広がり、その向こうに天橋立の松並木が横たわって見えますんや。奈良の都から遠く離れた海辺の国で、これだけの景色を見下ろす場所にお寺を建てはった昔の人の気持ち、なんや分かる気がしますなあ。

📜古代丹後国府の中心地やったんどす

 この宮津市府中一帯には、丹後国分寺跡のほかに、丹後国一宮の籠神社や、国印を祀っとった飯役社なんかが集まっとりますんや。せやから、丹後国の政治を司った「国府」も、この府中のどこかにあったんやないか、いう説が有力なんどす。府中には国分寺の南北の軸に沿うた地割りが今も部分的に残っとって、古代の都市計画の名残やと考えられとります。

 「府中」いう地名そのものが、そこに国府があったことを匂わせとりますなあ。今はのどかな田園風景が広がる場所どすけど、千三百年前は丹後の政治と宗教の中心地として、ようけ人が行き交うとった思うたら、なんや不思議な気持ちになりますえ。

⛏️発掘調査で見えてきた栄華の跡

 昭和五十四年(1979年)から平成七年(1995年)にかけて行われた発掘調査では、奈良時代の土塁状の遺構や溝、平安時代のものとみられる大きな柱穴が一列に並んで見つかっとります。せやから国分寺は、奈良時代の創建当初から一度姿を変えて、平安時代に立派な伽藍として再建されたんやないか、いう見方もあるんどす。

 出土した軒丸瓦や軒平瓦は、創建当初からこの地にお寺があったことを教えてくれますし、平安末期から鎌倉時代にかけての中国渡りの陶磁器もぎょうさん出土しとって、この時代にお寺がえらい栄えとったことが伺えますんや。境内跡には今も、金堂跡に三十四個、塔跡に十六個、中門跡に二個の礎石が残っとって、往時の建物の大きさを静かに物語っとります。

🏺今は資料館が跡地の記憶を守っとります

 国分寺そのものは、その後の戦火や洪水で焼失・移転を重ね、現在は別の場所に移っとります。せやけど、丹後国分寺跡の敷地には今、京都府立丹後郷土資料館が建っとって、出土した瓦なんかを見せてもろたり、丹後の考古資料や歴史資料をじっくり見学することができますんや。

 資料館のお向かいには、京都府指定文化財の旧永島家住宅いう茅葺きの古民家もあって、あわせて見て回ると、丹後の暮らしの歴史がぐっと身近に感じられますえ。訪れる際は、天橋立駅か岩滝口駅から丹海バスに乗って「資料館前」バス停で降りたら、歩いて三分ほどどす。

📍行っ得メモ

・所在地:京都府宮津市国分(京都府立丹後郷土資料館に隣接)
・アクセス:天橋立駅または岩滝口駅から丹海バスで「資料館前」下車、徒歩約3分
・見どころ:金堂跡・塔跡・中門跡の礎石、資料館展示の出土瓦と旧永島家住宅

 天橋立の絶景ばっかりに目ぇ奪われがちな宮津どすけど、その足元には千三百年前から続く丹後の歴史がぎょうさん眠っとります。礎石ひとつひとつに手ぇ触れながら、古代の丹後国府に思いを馳せる旅、なかなか乙なもんどすえ。

 そないな古代のロマンに浸った後は、純米大吟醸YUTAKA(豊)をぬる燗でちびりとやるんがよろしおす。備前焼あたりのぽってりした酒器に注いで口に含めば、ふくよかな旨みがじんわり広がって、千三百年の時を超えて受け継がれてきた丹後の風土の豊かさを、舌の上でしみじみ味わえますえ。

ほな、また次回のお楽しみに。

これからもどうぞよろしくお願いします。

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FAQ
Q. 丹後国分寺跡はいつ建てられたんどす?
A. 天平十三年(741年)に聖武天皇が発した「国分寺建立の詔」によって、全国各地の国分寺のひとつとして建てられましたんどす。当初は七重塔を備えた大伽藍として構想されており、丹後の地にそれだけ立派なお寺が建てられたことは、丹後国の重要性を物語っとります。

Q. 丹後国府は本当にここにあったんどすか?
A. はっきりとした所在地はまだ確定しとりませんが、丹後国分寺跡のある宮津市府中一帯には、丹後国一宮の籠神社や国印を祀る飯役社が集まり、国分寺の軸に沿う地割りも残っとります。せやから丹後国府の中心地やった可能性が高いと考えられとるんどすえ。

Q. 境内には今も何が残っとるんどすか?
A. 現在は建物こそ残っとりませんが、金堂跡に三十四個、塔跡に十六個、中門跡に二個の礎石が今も見られますんや。跡地には京都府立丹後郷土資料館が建ち、発掘で出土した瓦なんかもあわせて見学できるようになっとります。

Q. 丹後国分寺跡へのアクセスを教えてほしいんどす
A. 京都府宮津市国分にあり、天橋立駅または岩滝口駅から丹海バスに乗って「資料館前」バス停で降りたら、徒歩約3分で到着しますんや。隣接する京都府立丹後郷土資料館とあわせて訪れるのがおすすめどすえ。

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