海の京都物語 第244話 由良川を上り下りした高瀬舟物語どすなあ|日本酒YUTAKA(豊)

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 「海の京都物語」、第244話どす。福知山市からはこれまで城下町の史跡や大江山の鬼伝説など、ようけの物語をお届けしてきましたが、今回は少し目線を変えて、町のすぐそばを流れる由良川そのものに注目してみよどすえ。

 由良川言うたら、かつて舟運が盛んやった川どす。福知山はその舟運の中心地として栄えた町やったんどすよ。

🚢由良川舟運の中心地やった福知山

 由良川は全長約146キロ、京都府南丹市美山町に源を発して福知山を経て日本海の由良(宮津市)へと注ぐ川どす。江戸時代には舟運が盛んになり、物資や人が川を行き来して、福知山は経済の要所として発展していったんどすえ。福知山から日本海の由良までは約45キロの道のりやったそうどす。

 城下町の代表的な船着場があったんは、音無瀬橋のあたりやったそうどす。今も福知山市猪崎に架かる音無瀬橋のたもとに立つと、かつてたくさんの高瀬舟が行き交うたであろう穏やかな水面が広がっとります。

⛴福知山藩が定めた厳しい舟運のルール

 福知山藩は船運を厳しく統制しとったそうどす。『福知山より下流の船は福知山までとし、福知山の船は大島堰まで上ることができる』いう規則が定められとって、福知山から由良までの航行には2日かかり、上りは有路で積み替えが必要やったんどすて。

 使われとった高瀬舟は、長さ八間(約16メートル)、幅一間半(約2.5メートル)ほどの舟どした。積める荷物は上りで600貫(約2.2トン)、下りで1200貫(約4.4トン)にもなったそうどすから、なかなかの働きもんどすなあ。

📦川を上り下りした荷物の数々

 由良から福知山へと上ってきた荷物は、塩、酒、油粕、干肴、材木、薪、石、石炭など。逆に福知山から由良へ下った荷物は、米、麦、大豆、芋、茶、煙草、桐実、漆実などやったそうどす。

 海の幸と山の幸、町の暮らしと里の暮らしが、一艘の高瀬舟に積まれて由良川を行き来しとったわけどす。想像するだけで、当時の賑わいが目に浮かぶようどすなあ。

🚂鉄道の時代とともに消えた舟運

 そんな舟運も、時代の流れには逆らえまへんどした。明治32年に国鉄舞鶴線が開通すると蒸気船は廃止され、大正末期にはほぼ舟運そのものが姿を消してしもたそうどす。

 今は静かに流れるだけの由良川どすが、橋のたもとに立てば、荷を積んだ高瀬舟の櫂の音がどこからか聞こえてきそうな、そんな気がしますなあ。

📍行っ得メモ

・音無瀬橋/京都府福知山市猪崎
・JR福知山駅から徒歩約15分
・問い合わせ/福知山観光協会(0773-22-2228)

 川は黙って流れとるだけやのに、そこにどれだけの人の営みが積み重なってきたんやろ思うと、しみじみしてしまいますなあ。由良川のほとりに立つたびに、そんな昔の賑わいに思いを馳せてみとうなります。

 そんな川の恵みに思いを馳せながら、YUTAKAを一献。少し冷やして盃でいただくと、すっと喉を通る涼やかな口当たりが、川風のようにさらりと広がりますんえ。塩や干肴を運んだ高瀬舟の荷に思いを馳せながら、肴には干物を添えて一杯どうどすやろ。

ほな、また次回のお楽しみに。

これからもどうぞよろしくお願いします。

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FAQ
Q. 由良川の舟運はいつ頃盛んやったん?
A. 江戸時代に由良川の舟運は盛んになり、福知山は経済の要所として発展しました。しかし明治32年に国鉄舞鶴線が開通すると蒸気船は廃止され、大正末期にはほぼ舟運の姿が見られんようになったんどす。鉄道の時代とともに、川の役割は大きく変わっていったんどすえ。

Q. 高瀬舟にはどんな荷物を積んだん?
A. 由良から福知山へは塩や酒、油粕、干肴、材木などが運ばれ、福知山から由良へは米や麦、大豆、茶、煙草などが運ばれたそうどす。海の幸と里の恵みが、一艘の高瀬舟に積まれて由良川を行き来しとったんどすなあ。

Q. 音無瀬橋にはどんな由来が?
A. 音無瀬橋は福知山市猪崎に架かる由良川の橋で、かつて城下町の代表的な船着場があった場所のひとつと伝わっとります。今も橋のたもとからは穏やかな由良川の流れを眺めることができ、往時の賑わいに思いを馳せられるスポットどすえ。JR福知山駅から徒歩約15分の距離どす。

Q. 福知山藩の舟運ルールとは?
A. 福知山藩は船運を厳しく統制し、下流の船は福知山まで、福知山の船は大島堰までと定めとったそうどす。福知山から由良までの航行には2日を要し、上りは有路で荷の積み替えが必要やったと伝わっとります。川を治めることは、町を治めることでもあったんどすなあ。

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