海の京都物語 第262話 小畑城跡のてっぺんに波々伯部はんの意地が今も静かに残っとる、たった十分で登れる戦国ロマンどすえ|日本酒YUTAKA(豊)

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 「海の京都物語」も、気がつけば262話を数えるようになりました。丹波の山あいに抱かれた綾部の町には、まだまだ知らんかった歴史の欠片がそこかしこに眠っとります。

 今回訪ねるんは、綾部市小畑町の丘の上にひっそりと佇む「小畑城跡」どす。観光パンフレットの表舞台にはあんまり出てきいひんけど、地元の人らの手で大切に守られてきた、知る人ぞ知る戦国の舞台どすえ。

⛰️丘陵の頂に残る山城のかたち

 小畑城跡は、伊路屋川に向かって延びる丘陵の頂部、標高約百メートルの地に築かれた山城どす。主郭は長さ約五十メートル、幅約二十メートルの広さがあったと伝わり、堀切や土塁、曲輪の跡が今も残っとります。

 城主とされるんは、丹波守護代・内藤氏の重臣やった波々伯部氏。『丹波志』などの史料に、戦国時代後期にこの地域を治めた一族として名前が残っとります。

⚔️明智光秀の丹波攻めと悲話

 天正七年(一五七九年)、明智光秀による丹波攻めの際にこの城も攻められ、落城したと伝えられとります。一族の女性が三坂峠で命を落としたという悲しい言い伝えも残っとり、戦国の世の厳しさを今に物語っとります(詳しい経緯は資料により異同があり、要確認)。

🌿地域の手で守られる戦国ロマン

 「小畑城を守る会」を中心に、地元の人らが登山道の整備を続けてきはりました。二〇一八年からはグンゼのモデルフォレスト活動や林業大学校の実習協力も得て、案内看板が整えられてきたそうどす(年数・団体名は要確認)。

 春にはツバキやミツバツツジが咲き、山頂までは十分ほどで登れる手軽さ。ちょっとした散歩気分で、戦国時代にタイムスリップできる場所どすなあ。

📜御城印にみる波々伯部の家紋

 小畑城址の御城印には、城主やった波々伯部氏の家紋があしらわれとります。山家城址や上林城址とセットになった限定デザインも頒布されとるそうで、城跡めぐりの記念に求める人も多いんやとか(価格・取扱いは要確認)。

📍行っ得メモ

・小畑城跡:綾部市小畑町、標高約100mの丘陵頂部に位置 ・アクセス:舞鶴若狭自動車道「綾部IC」から車で約17分、京都縦貫自動車道「綾部安国寺IC」から約25分(要確認) ・駐車場:高源寺の駐車場を利用 ・登城時間:山頂まで徒歩約10分ほど ・御城印:波々伯部氏の家紋デザイン、1枚300円(税込)程度で頒布(要確認)

 観光地図の端っこに小さく載っとるだけの山城やけど、そこには地域の人らが何年もかけて守り続けてきた想いが詰まっとります。派手さはなくとも、静かに語りかけてくる戦国ロマンに、しみじみとした味わいを感じた一日どした。

 登城を終えた後は、よう冷やした純米大吟醸YUTAKAをぐい呑みでキュッと一杯。十分程度の山歩きで火照った体に、キレのある冷酒がすっと染み渡り、波々伯部はんの意地を偲びながら味わう一杯は、また格別どすえ。

ほな、また次回のお楽しみに。

これからもどうぞよろしくお願いします。

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FAQ
Q. 小畑城跡とはどないな山城どすか
A. 京都府綾部市小畑町にある山城跡どす。標高約百メートルの丘陵頂部に築かれ、戦国時代後期に波々伯部氏が城主やったと『丹波志』などに伝わっとります。堀切や土塁、曲輪の跡が今も残り、山頂までは十分ほどで登れる手軽な山城どす。

Q. 小畑城はなぜ落城したんどすか
A. 天正七年(一五七九年)、明智光秀による丹波攻めの際に攻められ落城したと伝わっとります。城主一族の女性が三坂峠で命を落としたという悲しい言い伝えも残っており、戦国の世の厳しさを今に伝えとります(要確認な点も含みます)。

Q. 御城印はどこで手に入りますか
A. 綾部市観光協会のオンラインショップなどで、波々伯部氏の家紋をあしらった御城印が頒布されとります(要確認・在庫や取扱いは変動あり)。山家城址や上林城址とセットになった限定版もあるそうどす。

Q. 登城のあとにお酒はどう選べばええどすか
A. 山登りのあとは、きりっと冷やした純米大吟醸YUTAKAをぐい呑みで一杯どうどすか。戦国の山城に思いを馳せながら飲む冷酒は、汗をかいた体にすっと染み渡って、格別の味わいになりますえ。

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