海の京都物語 第398話 蕪村はんのお母はんの里、大江山望む与謝の田んぼを訪ねましたんえ|日本酒YUTAKA(豊)

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 海の京都物語、第398話は与謝野町からのお届けどす。これまで蛭子山古墳や丹後ちりめん歴史館、与謝野鉄幹・晶子ゆかりの江山文庫などをご紹介してきましたが、今回はちょっと視点を変えて、俳人にして画家、与謝蕪村はんゆかりの里を訪ねてみようと思いますんえ。

 舞台は与謝野町与謝地区。大江山連峰を望み、斜面に稲田が広がるこの土地こそ、蕪村はんが後に「与謝」の名を名乗る由来になったと伝わる場所どす。江戸時代の大坂で生まれた俳人が、なんで丹後の山里と結びつくんか、順を追ってお話ししますさかい。

📜 母げんの里と、丹後へ渡った蕪村はん

伝えによりますと、蕪村はんの母・げんは与謝村(現在の与謝野町与謝)の農家の生まれで、早乙女として大坂へ奉公に出た後、蕪村を産んだという口伝が残っとりますが、これはあくまで言い伝えで真偽は定かやおへん。蕪村自身は1754(宝暦4)年晩春から1757(宝暦7)年晩秋まで、約3年半にわたって丹後に滞在し、宮津の見性寺に身を寄せて画業に打ち込んだことは、複数の辞典類でも確認されとります。

三方を山に囲まれ、大江山を望む与謝の田園地帯に立ちますと、稲穂の揺れる音の向こうに、若き日の蕪村はんが筆を握った気配がふっと感じられる気がしますんえ。

⛩️ 施薬寺に残る初期の屏風

与謝野町与謝にある施薬寺には、幼い蕪村はんが預けられ住職から書画の手ほどきを受けたという伝承があり、同寺には蕪村初期の作とされる『方士求不死薬図屏風』が伝わっとります。丹後滞在を経て京都へ戻った後、蕪村はんは「与謝」の姓を名乗るようになりましたが、これは丹後滞在の時期と重なることから、この地名に由来するとみられとります(本人が明言した一次史料は確認されておらず、あくまで「とされる」説としてお伝えしますんえ)。

本堂の静けさの中に古い屏風が眠っとる思うと、観光地のにぎわいとはまた違う、歴史の重みがひたひたと伝わってきますわ。

🌾 「夏河を越す」の句と、与謝の風景

丹後時代、蕪村はんは天橋立や伊根、経ヶ岬などを訪ね歩いたとされ、与謝村へ向かう道中で詠んだと伝わるのが「夏河を越すうれしさよ手に草履」の句どす。丹後滞在を経て作風はより大胆で豊かになったとされ、後年の代表作「菜の花や月は東に日は西に」にも通じる、広々とした情景への眼差しが、この地で育まれたんやないかと言われとります。

野田川のせせらぎと、斜面を覆う稲田、その奥にそびえる大江山――蕪村はんが眺めたやもしれん景色は、今もほとんど変わらんと思うと、なんや胸がじんとしますんえ。

🪦 げんの墓と、受け継がれる言い伝え

与謝野町与謝には、げんの墓と言い伝えられる墓所が残り、地元の谷口家が代々守ってきたと伝わっとります。蕪村はん自身は1783(天明3)年、68歳で世を去り、京都・東山の金福寺に葬られましたが、ふるさととされる与謝の地には、こうして静かに言い伝えが受け継がれとるんどす。

観光地図には載らんような、ひっそりとした墓所に手を合わせる時間も、与謝野町を歩く醍醐味の一つやと、うちは思いますんえ。

📍行っ得メモ

・施薬寺や「げんの墓」は地域で大切に守られてきた史跡で、一般公開を前提とした観光施設やあらしまへん。訪ねる前に与謝野町役場(0772-43-9000)へひと声かけるのが安心どす
・最寄り駅は京都丹後鉄道「与謝野駅」、与謝地区へは駅から車での移動が便利どす。京都縦貫自動車道「与謝天橋立IC」からもアクセスできますんえ
・周辺は大江山を望む田園風景が広がるエリアで、田植えや稲穂が色づく時期の眺めが特におすすめどす

 「菜の花や月は東に日は西に」――あの広々とした情景を生んだ土壌が、もしかしたらこの与謝の里にあったんやないか。そう思いながら稲田のあぜ道を歩くと、何百年も前の俳人がぐっと身近に感じられますんえ。

 そんな与謝の夕暮れには、純米大吟醸YUTAKAをぬる燗にして、ぽってりとした陶器の盃でいただくのがようおすすめどす。米の旨みがふわっと広がる口当たりは、稲田を渡る風や、蕪村はんが愛したやもしれん夕景の静けさと、ふんわり響き合う一献どすわ。

ほな、また次回のお楽しみに。

これからもどうぞよろしくお願いします。

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FAQ
Q. 施薬寺は見学できますんか?
A. 施薬寺は地域で大切に守られてきた史跡で、蕪村はん初期の屏風が伝わるとされる貴重なお寺どすが、一般公開を前提とした観光施設やあらしまへん。訪ねる際は事前に与謝野町役場(0772-43-9000)などへお問い合わせいただき、マナーを守ってお参りいただくのがよろしいかと思いますんえ。

Q. 与謝野町と蕪村はんの関係は?
A. 蕪村はんの母・げんは、与謝野町与謝地区の生まれと伝わっとります。蕪村自身も1754年から約3年半、丹後に滞在して画業に励んだとされ、京都に戻った後に「与謝」姓を名乗ったことから、この地と深い縁があるといわれとりますんや。ただし母の出自については口伝の域を出ず、断定はできひんことをご了承くださいね。

Q. 『与謝』の姓の由来は確かどすか?
A. 辞典類では、蕪村はんが丹後(宮津・与謝)に滞在した後、京都に戻ってから「与謝」姓を名乗ったとされとります。滞在時期と改姓の時期が重なることから地名由来とみる説が有力どすが、本人が明言した一次史料は確認されておらず、研究上は「由来と考えられる」にとどまることをお断りしておきますんえ。

Q. 与謝野町へのアクセスは?
A. 京都丹後鉄道「与謝野駅」が最寄り駅どす。与謝地区へは駅から車での移動が便利で、京都縦貫自動車道「与謝天橋立IC」からもアクセスできますんえ。田園地帯を歩く際は、農作業の妨げにならんよう道幅や私有地に気をつけて、ゆったり散策を楽しんでおくれやす。

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