海の京都物語 第445話 幕末の宮津を守った砲台どす、大手川の砂嘴が生んだ島崎公園に眠るお台場のものがたりをたずねますえ|日本酒YUTAKA(豊)

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 海の京都物語も、いつの間にやら四百四十五話まで来ましたんどすなあ。綾部の山里から福知山の城下、宮津の海辺、与謝野のちりめん、伊根の舟屋、京丹後の半島、舞鶴の港町と、七つのまちをあっちゃこっちゃ巡らせてもろてきました。

 今日は宮津市、それも毎年夏に一万の灯籠が揺れる島崎公園のお話どす。けんど、花火や燈籠流しの賑わいやのうて、その足元にひっそり眠っとった、幕末の砲台のものがたりをさせてもらいますえ。

⚓ 大手川が育てた砂の岬

 宮津市の資料によりますと、今のみやづ歴史の館や島崎公園のあたりは、江戸時代の絵図と照らし合わせると、かつては海の中やったそうどす。大手川が運んだ土砂が少しずつ堆積して、年月をかけて海へ細う伸びていった「砂嘴」を、埋め立てて陸地にした場所なんどすえ。

 宮津の城下いうたら天橋立の内海・阿蘇海側ばっかり目ぇ行きがちどすけど、大手川の河口側にも、こないして川が土地を生み育てる物語があったんどすなあ。

💣 お台場に据えられた十五門の大砲

 幕末、黒船来航以降は日本中の港町が異国船への備えに追われましたんやけど、宮津も例外やなかったんどす。宮津の郷土史では、この砂嘴の埋立地のあたりに、亀ヶ丘や桜山から運んだ土砂で沿岸防衛のためのお台場が築かれ、大砲十五門が据えられたと伝わっとります。

 正確にいつ、誰の手で築かれたかまでは、はっきりとした記録が今のところ確認できしまへんのやけど、宮津藩の城下を異国船から守ろうとした人らの緊張感が、この一文からでも伝わってきますやろ。

🏯 宮津城のお膝元で考える海防の記憶

 宮津城いうお城は、織田信長が細川藤孝に築城を許したところから始まったと伝わる、宮津のまちの背骨みたいな存在どす。その城下町の海側で、幕末という時代にお台場が築かれたいうんは、港町・宮津が常に海と向き合うてきた証のようにも思えますんえ。

 今の島崎公園は、夏には花火と燈籠で賑わう憩いの場どすけど、その足元に大砲が並んどった時代があったて考えると、同じ景色がちょっと違うて見えてくるんと違いますやろか。

🚶 今も歩ける砂嘴の跡

 お台場そのものの正確な位置や遺構は、今のところはっきりとは特定されてへんようどすけど、大手川河口の埋立地という地形そのものは、今も島崎公園からみやづ歴史の館にかけて歩いて感じることがでけます。

 宮津駅の地下に幅二十二メートルもの内堀跡が見つかったという話も資料館の説明に残っとって、宮津のまちはそこかしこに、お城と海の記憶を隠し持っとるんどすなあ。

📍行っ得メモ

・島崎公園はJR宮津駅から徒歩圏内、みやづ歴史の館(旧三上家住宅に近いエリア)とあわせて巡ると地形の変遷がわかりやすいどす
・お台場の正確な遺構は未確認(要確認)なため、現地に説明板がない場合もあるので、事前に宮津市の観光案内所で最新情報を確認しておくれやす
・夏の宮津燈籠流し花火大会の会場でもあるので、歴史散策と合わせて季節のイベント情報もチェックしておくれやす

 普段なら見過ごしてしまう公園の足元に、こないして幕末の緊張感が埋もれとったて知ると、宮津の海はほんまに幾重にも物語を抱えとるんやなあと、しみじみ思いますんえ。

 家に帰って、この話を肴にYUTAKAをちびりちびりやらせてもろたんどす。常温よりちょっと冷やしたくらいの温度で、ぽってりした盃にそそぐと、山田錦のふくよかな香りがふわっと立ち上って、海を見張っとった先人らの緊張をそっとほどいてくれるような、やさしい味わいどした。

ほな、また次回のお楽しみに。 これからもどうぞよろしくお願いします。

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FAQ
Q. 宮津のお台場はどこにあった?
A. 宮津市の資料によりますと、現在のみやづ歴史の館や島崎公園がある大手川河口の埋立地一帯に、幕末の沿岸防衛のためのお台場が築かれたと伝わっています。正確な遺構の位置までは特定されておらず、今後の調査が待たれる話どす。

Q. お台場には大砲があったんどすか?
A. 伝承によりますと、亀ヶ丘や桜山から運んだ土砂で築いたお台場に、大砲十五門が据えられたと言われています。ただし築造年や築いた主体についての詳しい記録は確認できておらず、郷土史に伝わる話として紹介させてもろてます。

Q. 島崎公園は今どんな場所どすか?
A. 島崎公園は宮津市街の大手川河口に広がる公園で、夏には日本三大燈籠流しのひとつとされる宮津燈籠流し花火大会の会場にもなります。普段は市民の憩いの場として親しまれている静かな公園どす。

Q. 宮津城と台場はどう関係しとるんどすか?
A. 宮津城は織田信長の許しを得て細川藤孝が築いたと伝わる城で、台場は幕末にその城下を海側から守るために築かれたとされています。時代は離れていますが、どちらも港町・宮津が海と向き合ってきた歴史を物語る存在どす。

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