海の京都物語 第464話 福知山城や光秀はんだけやない、総理大臣も生まれたんどす、字宮の記念館を訪ねてみましたんどすえ|日本酒YUTAKA(豊)
「海の京都物語」、464話まで続けてこれたんも、読んでくれはる皆さんのおかげどす。福知山言うたら、やっぱり福知山城や明智光秀はんの話が多かったんですけど、今回は趣向を変えて、光秀はんより新しい時代に、福知山が生んだ日本の総理大臣はんのお話をさせてもらいますえ。
その人の名前は芦田均はん。終戦直後の混乱期に第47代の内閣総理大臣を務めはった政治家どす。福知山市字宮に生まれはって、今もその生家が「芦田均記念館」として大切に守られとるんどす。
🎓 外交官から代議士へ、福知山が生んだ政治家
芦田均はんは明治20年(1887年)11月15日のお生まれどす。東京帝国大学を出てから外務省に入らはって、ロシアやフランス、トルコ、ベルギーなんかで外交官としての経験を積まはったんどす。
昭和7年(1932年)には満州事変をめぐる政府の方針に異を唱えて外務省を辞めはって、その年の衆議院議員選挙に立候補して政界入りしはりました。そこから昭和の激動の時代を歩んでいかはるんどすな。
字宮のあたりの静かな田んぼ道を歩いとったら、こないなとこから国政の中枢へ上りつめはった人がいてはったんか、としみじみ思わされますえ。
📜 日本国憲法の制定に関わった「芦田修正」
終戦後の昭和21年(1946年)、芦田均はんは衆議院の帝国憲法改正案委員会の委員長を務めはって、新しい憲法づくりの中心人物のひとりにならはったんどす。この時の修正は「芦田修正」と呼ばれて、今も憲法の解釈をめぐる議論で語られることがある、歴史に残る出来事どす。
昭和22年(1947年)には民主党総裁となって片山哲内閣で副総理兼外務大臣を務めはり、そして昭和23年(1948年)3月、ついに第47代内閣総理大臣に就任しはりました。三党連立という難しい舵取りを任された政権どしたんえ。
🏠 生家に立つ「芦田均記念館」
芦田均はんの内閣は、昭和電工事件いう疑獄事件のあおりを受けて同じ年の10月に総辞職しはりました。ご自身も逮捕されはりましたけど、昭和33年(1958年)に無罪が確定しとります。それでも、憲法制定に関わらはった功績は今も語り継がれとるんどす。
その生まれ故郷、福知山市字宮36番地には、生家の離れとお庭を公開する「芦田均記念館」が立っとります。関連資料の展示もあって、福知山が生んだ総理はんの足跡をじっくり辿ることができますんえ。
記念館の周りは田んぼが広がる静かな集落どす。派手な観光地とはちゃいますけど、こないなとこからひとりの政治家が国の中枢へ歩んでいかはったんやなぁと思うと、妙に胸が熱くなりますえ。
📍行っ得メモ
・芦田均記念館:福知山市字宮36番地
・電話:0773-27-9445
・開館時間:9時〜17時(入館は16時30分まで)
・休館日:火曜日(祝日の場合は翌日)、12月27日〜翌年1月4日
福知山言うたら福知山城と光秀はんのイメージが強おすけど、こないして時代を超えたもうひとりの「福知山の顔」に出会えると、この町の懐の深さをあらためて感じますなあ。
記念館を辞してからの帰り道、ひんやりした秋の空気の中でいただくんやったら、YUTAKAは常温かぬる燗にして、ぐい呑みにちょこっと注いでちびちびやるのがよろしおす。すっと喉を通る米の旨みと、ほのかな甘みの余韻が、歴史に思いを馳せたあとの静かな気持ちによう合いますえ。
ほな、また次回のお楽しみに。
これからもどうぞよろしくお願いします。
FAQ
Q. 芦田均記念館はどこにありますか?
A. 芦田均記念館は、福知山市字宮36番地にあり、第47代内閣総理大臣・芦田均はんの生家の離れとお庭を公開しとります。関連資料の展示もあって、電話番号は0773-27-9445どす。福知山が生んだ政治家の足跡をじっくり辿れる施設どすえ。
Q. 開館時間と休館日を教えてください
A. 芦田均記念館の開館時間は9時から17時まで(入館は16時30分まで)どす。休館日は火曜日(祝日の場合は翌日)と、12月27日から翌年1月4日までの年末年始どす。訪ねる前に電話(0773-27-9445)で確認しはると安心どすえ。
Q. 芦田均はどんな人物どすか?
A. 芦田均はんは明治20年(1887年)、福知山市字宮の生まれどす。東京帝国大学卒業後は外務省に入り外交官として活躍しはり、戦後は衆議院の憲法改正案委員会の委員長として日本国憲法の制定に関わらはりました。昭和23年(1948年)には第47代内閣総理大臣に就任しはった、福知山が誇る政治家どす。
Q. 内閣はなぜ短命に終わったんどすか?
A. 芦田内閣は昭和23年(1948年)3月に発足しましたが、復興金融金庫からの融資をめぐる昭和電工事件が表面化し、同年10月に総辞職しはりました。芦田均はん自身も逮捕されはりましたが、昭和33年(1958年)に無罪が確定しとります。短い政権どしたが、憲法制定など大きな功績を残さはりました。
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