海の京都物語 第467話 明智光秀はんの首塚がひっそり眠ると伝わる宮津の古刹・盛林寺はんへ、静かな庭を訪ねてきたんどすえ|日本酒YUTAKA(豊)
海の京都物語、気ぃついたらもう467話にもなったんどすなぁ。天橋立の四大観や成相寺はんの撞かずの鐘、宮津城の太鼓門、飯尾醸造はんの富士酢、カトリック宮津教会のステンドグラスから、お菊さん伝説の残る大頂寺はんまで、ほんまにぎょうさんのお話をさせてもろてきました。
今日はそんな宮津のまちなかから、ちょっと奥まった喜多の集落にひっそり建つ、曹洞宗のお寺「盛林寺(せいりんじ)」はんのお話をさせてもらいますえ。戦国の世を生きたあるお方の首塚が伝わる、知る人ぞ知る古刹どす。
🏯天正五年、上宮津城主の祈りから始まったお寺どす
盛林寺が建てられたんは天正5年(1577年)のこと。当時丹後を治めとった一色氏の重臣で、上宮津城の城主やった小倉播磨守はんが、ご先祖はんを弔う菩提寺として開かはったんが始まりやそうどす。開山は趙室宗柏和尚はんと伝わっとります。
せやけど天正8年(1580年)、丹後国主として細川家が治めるようになると、お寺は細川家とも深いご縁を結ばはったんどす。細川幽斎はんの幼うして亡くならはったお子・菊童丸はんの肖像画が今も伝わっとるんも、そのご縁の証どすなぁ。
石段を上って山門をくぐると、山ふところに抱かれたような静けさが広がります。貞享2年(1685年)に今の山の中腹へ移ってから、大きゅう姿を変えんと時を重ねてきたんやそうどす。
🗡戦国の武将はんの首塚が、静かに眠ると伝わりますんどす
盛林寺を語る上で外されへんのが、明智光秀はんにまつわる伝承どす。本能寺の変の後に光秀はんが落命したあと、その首が宮津まで運ばれ、当寺の墓地に葬られたと伝わっとります。
細川家は織田信長はんに忠義を尽くしとった一方で、光秀はんの娘・玉子はん(後の細川ガラシャ)が細川家に嫁いどったという、なんとも複雑なご縁もありました。そないな因縁があればこそ、お寺が光秀はんを弔う役目を担わはったんやないかと伝わっとります。
お墓の前に立つと、戦国の世をくぐり抜けてきた重さと、それでも手を合わす人の絶えん穏やかさの両方が、すっと胸に入ってくるような心地がしますえ。
🖼涅槃図と山門、鯉の泳ぐ庭が静かに迎えてくれますんどす
本堂には釈迦三尊像や開山はんのお像などの寺宝が納められとって、室町時代に描かれたと伝わる絹本の涅槃図は、お釈迦さまの命日にちなんで毎年2月に公開されとるそうどす。
山門は二階建てで鐘楼を兼ねとって、石段の先にすっと立つ姿が印象的どす。境内の庭には珍しい形の岩から湧く泉と、錦鯉が泳ぐ池があって、緑に包まれた静かな時間が流れとります。
鐘楼門をくぐる風の音と、池の鯉がたてるかすかな水音だけが聞こえる境内で、しばらくぼーっと座っとるだけで、気ぃが静まっていくような気がしましたんえ。
🚉喜多の集落にとけこんだ、地元の人らに守られてきたお寺どす
盛林寺があるんは、京都丹後鉄道宮豊線「喜多駅」から歩いてすぐの喜多の集落どす。天橋立の賑わいからちょっと離れた、昔ながらの家並みが残るのどかな一画どす。
観光客でにぎわう天橋立とは違うて、ここは地元のお人らが日々お参りに来やはる、暮らしに寄り添うたお寺どす。檀家さんらが長いこと守ってきやはったんやろなぁという気配が、境内のそこかしこに感じられますんえ。
📍行っ得メモ
・盛林寺(せいりんじ)/京都府宮津市字喜多696
・京都丹後鉄道宮豊線「喜多駅」から徒歩約6分
・曹洞宗、本尊は釈迦牟尼仏、天正5年(1577年)創建と伝わります
・絹本著色の涅槃図は毎年2月に公開(日程・拝観方法は事前にお寺へご確認を)
・檀家寺としての日常のお寺どすので、参拝は静かに。お電話でのご確認もおすすめどす(0772-22-4481)
明智光秀はんというたら、戦国の世でも屈指の数奇なお方どす。そのお方の首塚が、天橋立から目と鼻の先の、こないな静かな集落にひっそり伝わっとるやなんて、宮津の懐の深さをあらためて感じさせられましたんどす。
そないな物思いに浸った帰り道、宿で冷やしたYUTAKAをちいさい盃にそっと注いでみました。キリッと冷えた純米大吟醸が喉を通るたび、戦国の世の無常と、それでも変わらず受け継がれてきたお寺の静けさが、不思議と重なって感じられますんえ。盛林寺の庭にあった泉の清らかさを思い出しながら、ゆっくり味わう一杯どした。
ほな、また次回のお楽しみに。
これからもどうぞよろしくお願いします。
FAQ
Q. 盛林寺はどこにありますか?
A. 盛林寺は京都府宮津市字喜多696にある曹洞宗のお寺どす。京都丹後鉄道宮豊線の喜多駅から徒歩約6分の、天橋立から少し離れた静かな集落にあります。天正5年(1577年)に、当時の上宮津城主の菩提寺として建てられたと伝わっとります。
Q. 明智光秀の首塚があるんですか?
A. 本能寺の変の後に亡くなった明智光秀はんの首が宮津まで運ばれ、盛林寺の墓地に葬られたという伝承が残っとります。細川家と光秀はんの娘・玉子(細川ガラシャ)との縁もあって、お寺が供養を担う特別な立場になったと伝わっとりますんえ。
Q. 涅槃図はいつ見られますか?
A. 室町時代に描かれたと伝わる絹本著色の涅槃図は、お釈迦さまの命日にちなみ毎年2月に公開されとるそうどす。日程や拝観方法は年によって変わる可能性がありますんで、お出かけ前にお寺へ直接ご確認いただくんが確実どす。
Q. 盛林寺の参拝に予約は必要どすか?
A. 山門や境内のお参りは基本的に自由にできますが、檀家寺としての日常の場所どすので、静かにお参りいただくんがマナーどす。本堂の拝観や涅槃図の公開時期など詳しいことは、事前にお寺(電話0772-22-4481)へ確認しはるんがおすすめどすえ。
京都 丹後