海の京都物語 第67話 鬼を封じた立岩と、皇后はんが名を残さはった間人どす|日本酒YUTAKA(豊)

海の京都物語 第67話 鬼を封じた立岩と、皇后はんが名を残さはった間人どす|日本酒YUTAKA(豊)

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京丹後市シリーズ、第66話では丹後町の経ヶ岬灯台を訪ねましたなぁ。同じ丹後町、今日はちょっと違う顔を見せる場所へご案内しますえ。竹野川の河口、間人(たいざ)の海に立つ一枚岩「立岩」と、その名の由来にまつわる伝説どす。

🪨 竹野川河口に立つ、高さ約20メートルの一枚岩

 立岩は京丹後市丹後町間人、竹野川の河口近くの海中にどーんと立つ一枚岩どす。高さは約20メートル、約1500万年前の火山活動でできた普通輝石安山岩の岩床で、柱状節理の黒い岩肌と、それを取り巻く白い砂州のコントラストが見事どす。京都府の指定文化財(天然記念物及び名勝)にもなっとります。

👹 麻呂子親王の鬼退治、伝説が残る岩どす

 この立岩には、聖徳太子の異母弟・麻呂子親王が鬼退治をした際の伝説が伝えられてます。鰾古・軽足・土車という3匹の鬼のうち、土車という鬼をこの岩に封じ込めたと伝わってますんどす。史実として確かめられたお話やおへんけど、丹後にはこないな鬼退治の伝説があちこちに残っとって、土地の物語の豊かさを感じさせてくれますえ。

👑 「間人」と書いて「たいざ」、皇后はんの伝説どす

 そばの集落「間人」は「たいざ」と読みます。伝えられとるところによりますと、聖徳太子の生母・穴穂部間人皇后が、蘇我氏と物部氏の争乱を避けてこの地に身を寄せはったそうどす。都へお帰りになる際、感謝の気持ちを込めて自らの名をこの地に贈ろうとしはったところ、村人たちが畏れ多いと考えて、皇后がこの地を「退座」しはったことにちなみ「間人」と書いて「たいざ」と読むことにした、と伝わってますんえ。ただし記紀にはこの記載がなく、由来には諸説あることも申し添えておきますえ。

📍 行っ得メモ
・所在地:京都府京丹後市丹後町間人
・立岩へは丹後町間人の集落から徒歩圏内、周辺に駐車場あり
・間人漁港では冬場、ブランドガニ「間人ガニ」の水揚げが見られます(緑色タグが目印)

🍶 YUTAKAを一杯 〜伝説の岩を眺めながら、冬の恵みと〜

 鬼を封じたという黒い一枚岩と、皇后はんの名が残る海辺の集落。この土地の伝説に思いを馳せながらいただくなら、間人漁港に揚がる冬の味覚と純米大吟醸「豊-YUTAKA-」の組み合わせがようお似合いどす。京丹後産山田錦の澄んだ旨みが、蟹の甘みをすっと引き立ててくれますえ。

 鬼退治の伝説と、皇后はんの名が残る間人。丹後町にはまだまだ知らん物語がありますなぁ。京丹後市シリーズ、次はどの町へ向かいましょうか。

 ほな、また次回の京丹後市シリーズでお会いしましょう🍶
 これからもどうぞよろしくお願いします。

FAQ
Q. 立岩とはどんな岩どすか?
A. 京都府京丹後市丹後町間人、竹野川の河口近くの海中に立つ一枚岩です。高さは約20メートル、約1500万年前の火山活動でできた普通輝石安山岩の岩床で、柱状節理の黒い岩肌が特徴です。京都府の指定文化財(天然記念物及び名勝)に指定されています。

Q. 立岩に伝わる鬼退治の伝説とはどんなお話どすか?
A. 聖徳太子の異母弟・麻呂子親王が鬼退治をした際、鰾古・軽足・土車という3匹の鬼のうち、土車という鬼をこの立岩に封じ込めたと伝えられています。史実として確認されたものではなく、丹後に伝わる伝説です。

Q. 「間人」という地名は、どうして「たいざ」と読むんどすか?
A. 伝承によると、聖徳太子の生母・穴穂部間人皇后が争乱を避けてこの地に身を寄せられ、都へ戻る際に自らの名を地に贈ろうとされたところ、村人が畏れ多いとして、皇后がこの地を「退座」されたことにちなみ「間人」と書いて「たいざ」と読むことにしたと伝えられています。由来には諸説あります。

Q. YUTAKAはどんな肴と合わせるのがおすすめどすか?
A. 間人漁港に冬揚がる高級ブランドガニ「間人ガニ」との組み合わせがおすすめです。京丹後産山田錦から生まれた純米大吟醸「豊-YUTAKA-」の澄んだ旨みが、蟹の甘みをすっと引き立ててくれます。

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