海の京都物語 第343話 光秀はんを謀反人や言わんと町衆が偲んで祀った福知山・御霊神社、家中軍法も伝わる静かなお社のお話どす|日本酒YUTAKA(豊)

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 「海の京都物語」も気づけば343話。福知山では御城下に残る明智光秀公ゆかりの地をあれこれ訪ねてきましたが、今日はちょっと違う角度からのお話どす。

 福知山城からほんの徒歩15分、西中ノ町の路地裏にひっそり鎮座する御霊神社。光秀公を「謀反人」と呼ぶ人もいる世の中で、なんでこの町の人らは今もお社を守り続けてはるんやろ。その理由を、今日はじっくり辿ってみますえ。

⛩️宇賀御霊大神と光秀公が一緒に祀られたわけ

 御霊神社はもともと、産業や田畑の実りを守る宇賀御霊大神(うがのみたまのおおかみ)をお祀りする小さな祠やったそうどす。所在地は京都府福知山市西中ノ町238、福知山城下のほど近くどす。

 本能寺の変からおよそ120年が経った江戸時代、地元の人らは「光秀公の善政を忘れたらあかん」と、宇賀御霊大神とともに光秀公を合祀することにしたんやとか。謀反人とされた武将をまつるんは、当時なかなか珍しいことやったはずどす。

 石段を上がって鳥居をくぐると、観光客でにぎわう城下とはうって変わって、しんと静かな時間が流れてますんや。

📜家中軍法と光秀公の書状が伝わる社

 境内には、光秀公が自らの軍団の規律や軍役の基準を定めた「家中軍法」(全18条)や、光秀公直筆とされる文書3通が伝わっとるそうどす。

 本能寺の変を題材にした漢詩「本能寺」の石碑も境内に残り、光秀公にまつわる史料がぎゅっと詰まった場所になってますんや。

 石碑の文字を指でなぞりながら、440年余り前にこの地を治めた一人の武将に思いを馳せる。そんな静かなひとときを過ごせる社どす。

🙏タタリを恐れるより、善政を慕う心

 光秀公の合祀には、信長はんへの評価や秀吉はんとの関係、明智家の断絶などいろんな事情が絡んどったとも言われてますが、それだけやのうて、善政への感謝の方が大きかったんと違うやろか。

 福知山城の石垣に今も残る野面積みと同じように、何百年経っても崩れんと受け継がれてきた町衆の想い。それがこの小さなお社に凝縮されてる気がしますんや。

📍行っ得メモ

・御霊神社/京都府福知山市西中ノ町238
・福知山城から徒歩約15分
・電話 0773-22-2255
・境内参拝は自由(社務所対応時間などは要事前確認)

 タタリを恐れるより、恩を忘れんとする。そんな福知山の人らしい義理堅さに触れると、こっちまで背筋がしゃんとする思いどす。

 夜になったら、ぬる燗にした純米大吟醸YUTAKAを、ちょっと武骨な織部の盃でいただくのがよろしおす。じんわり広がる米の旨みと穏やかな酸が、長い時を越えて語り継がれてきた御霊神社の物語と重なって、しみじみ沁みる一献になりますえ。

ほな、また次回のお楽しみに。

これからもどうぞよろしくお願いします。

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FAQ
Q. 御霊神社はどこにありますか?
A. 御霊神社は京都府福知山市西中ノ町238にあるお社どす。福知山城からは徒歩で約15分、城下町の路地を少し入った静かな場所に鎮座してますさかい、お城や城下町散策とあわせて訪ねてみるのがおすすめどすえ。

Q. 御霊神社はいつ創建されたんどすか?
A. はっきりした創建年の記録は定かやおへんけど、明智光秀公の死からおよそ120年が経った江戸時代、宇賀御霊大神を祀る祠に光秀公を合祀したんが始まりと伝わってますんや。善政を慕う町衆の想いが形になったお社どす。

Q. 家中軍法とはどんなものどすか?
A. 家中軍法いうのは、光秀公が自らの軍団の規律や軍役の基準を定めた全18条からなる法度のことどす。御霊神社には、この家中軍法や光秀公直筆とされる文書も伝わっとって、戦国武将の素顔がうかがえる貴重な史料になってますんや。

Q. 御霊神社の拝観はできますか?
A. 境内は拝観自由どすが、社務所の対応時間や詳しいことは事前に神社(電話0773-22-2255)へ確認してから訪ねるのが安心どす。静かな社どすさかい、お参りの際は地元の方の迷惑にならんよう、マナーを守って過ごしておくれやす。

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