海の京都物語 第210話 十二代も続いた京極さんの峰山陣屋、丹後ちりめんで栄えたお城下の町並みを訪ねてみようどすえな|日本酒YUTAKA(豊)

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 海の京都物語も気ぃついたら210話。今まで舟屋の伊根や、丹後ちりめんの機音が響くまちや、日本海の荒波打つ岬々を巡ってきましたなあ。今日はちょっと趣向を変えて、殿様のいてはったまち――京丹後市峰山町へ足を運んでみますえ。

 峰山言うたら、今でこそ精密な機械金属の工場が立ち並ぶまちどすけど、江戸の世には「峰山藩」いう小さいお大名はんのお膝元やったんどす。藩主は京極さん、なんと十二代、約二百五十年もの間このまちを治めてはったんどっせ。

🏯京極高通が築いた峰山藩の始まり

 峰山藩の始まりは、関ヶ原の戦いで戦功をあげた京極高知はんが、丹後一国を与えられたことにさかのぼりますのや。高知はんが亡くなった後、遺領は実子二人と養子一人に三分割され、養子の京極高通はんが峰山地方一万石を相続、もともと徳川秀忠はんから拝領してた三千石と合わせて一万三千石の峰山藩が誕生したんどす(元和年間、資料によって1616年とも1622年とも伝わり、正確な立藩年は要確認どす)。

 高通はんは、中世からの京極氏の居城やった吉原山城には入らんと、その麓に陣屋を構えて、南北に長い城下町を造らはったそうどす。お城やのうて「陣屋」いうのがまた、この小さいお大名はんらしいて、ええ味わいがありますなあ。

🧵丹後ちりめんと藩の台所事情

 享保五年(1720年)、峰山に住んでた絹屋佐平治いうお方が、西陣で修業して習うてきたちりめんの技術を持ち帰り、丹後ちりめんが生まれたと伝わりますのや。この織物が藩の保護を受けて特産品に育ち、五代藩主・高長はんの頃には藩の財政をしっかり潤したそうどす。

 絹屋佐平治はんは、のちに森田治郎兵衛と名を改めて、峰山町吉原の常立寺に墓碑が残ってますのや。今もこの功績を偲んで慰霊祭が営まれてるそうで、機音の記憶がちゃんと受け継がれてますのやなあ。

⛩常立寺に眠る歴代京極家のお殿様

 常立寺は浄土宗のお寺で、京都・知恩院の末寺どす。境内の裏山斜面には、初代高通はんから十四代まで続く京極家歴代当主のお墓が並んでて、上段に初代から十一代、中段に十二代から十四代というふうに、きちんと段を分けて祀られてますのや。この墓所は京都府の指定文化財(史跡)にもなってて、京都府内でも屈指の近世大名墓所やと評価されてるそうどす。

 苔むした石段を上って、静かに並ぶ石塔の列を眺めてると、二百五十年続いた小藩の歴史がぎゅっと詰まってる感じがして、しみじみしますのやえ。

🔥城下町の面影を奪った北丹後地震

 残念なことに、峰山の陣屋町らしい古い町並みは、今ではほとんど残ってしまへん。1927年(昭和2年)3月7日に起きた北丹後地震で、峰山町は最大の被災地となり、家屋の大半が倒壊・焼失するという大きな被害を受けたんどす(被害の詳しい数値は資料によって幅がありますよって、正確な数字は要確認どす)。今のまちなみは、その後の復興で建てられたものが中心になってますのや。

 それでも、権現山の麓には「峰山陣屋跡」として石垣の一部やエノキの大木が残ってて、地域の人らに大事にされてますのやえ。かつて御殿が建ってた曲輪跡に立つと、南北に長かった城下町の広がりが、なんとのう想像できますなあ。

📍行っ得メモ

・常立寺(浄土宗、峰山藩京極家菩提寺・京都府指定文化財の藩主墓所あり):京都府京丹後市峰山町吉原68
・峰山陣屋跡(峰山城跡):京都府京丹後市峰山町吉原、JR峰山駅から権現山方面へ、石垣の一部やエノキの大木が現存
・拝観時間・料金など詳細は要問合せ(京丹後市観光公社 電話0772-72-6070)
・史跡地のため足元に注意し、静かに見学を

 殿様のお城やのうて「陣屋」いうこぢんまりしたお屋敷から、二百五十年もの間まちを見守ってきはった京極家。震災でまちの姿は変わってしもたけど、常立寺のお墓や陣屋跡のエノキに、その歴史はちゃんと息づいてますのやなあ。峰山を歩くたび、そないなことをふと思い出してもらえたら嬉しいどす。

 常立寺の石段を下りてきた後は、冷やした純米大吟醸KYOTO YUTAKAを、薄手のガラスの盃でいただくのがようおすなあ。十度前後によう冷やすと、吟醸香がすっと鼻に抜けて、お米の甘みと軽やかな酸味が、静かな墓所を歩いた後の心にすっと染み込んでいきますのや。丹後ちりめんの機音を支えた職人はんらのご苦労を思いながら、ゆっくり味わうひと口が、また格別どすえ。

ほな、また次回のお楽しみに。

これからもどうぞよろしくお願いします。

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FAQ
Q. 峰山藩はいつ頃できたんどす?
A. 峰山藩は関ヶ原の戦功で丹後一国を得た京極高知はんの遺領を引き継ぎ、養子の京極高通はんが元和年間(1616年、資料により1622年とも)に立藩したと伝わります。石高は一万三千石で、以後十二代・約二百五十年にわたって京極家が藩主を務めはりました。正確な立藩年は資料によって差があり、要確認どす。

Q. 峰山陣屋は今も見られますか?
A. 峰山陣屋の建物自体は廃藩置県後に失われてしまいましたが、跡地は権現山の麓に残っていて、石垣の一部や「峰山陣屋跡のエノキ」という大木が現存してます。かつて御殿が建っていた曲輪の跡から、南北に長かった城下町の広がりをしのぶことができますのやえ。

Q. 常立寺にはどんなお墓がありますか?
A. 常立寺の裏山斜面には、初代京極高通はんから十四代まで続く歴代藩主のお墓が段に分けて並んでますのや。京都府の指定文化財(史跡)にもなっていて、府内でも屈指の近世大名墓所と評価されてます。丹後ちりめんの創業者・絹屋佐平治はんの墓碑もこのお寺にありますのやえ。

Q. 峰山の古い町並みは今も残ってますか?
A. 残念ながら、江戸期の陣屋町らしい古い建物はほとんど残ってしまへん。1927年(昭和2年)の北丹後地震で峰山町は大きな被害を受け、まちの多くが焼失したためどす(被害の詳しい数値は資料によって幅があり要確認)。今の町並みは、その後の復興で建てられたものが中心になってますのやえ。

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