海の京都物語 第450話 赤れんが倉庫の奥に眠る「友情のメダル」、舞鶴が生んだ銀と銅を分かち合うた熱き友情物語どすえ|日本酒YUTAKA(豊)
「海の京都物語」はいよいよ第450話。舞鶴市は田辺城から赤れんがパーク、引揚記念館まで、幾度となく舞台に選んでまいりましたが、今回はこれまで深く触れてこなかった一枚のメダルの物語をお届けしますえ。
舞鶴赤れんが倉庫群の一棟、舞鶴市政記念館に静かに展示されている「友情のメダル」どす。舞鶴が生んだオリンピアン・大江季雄はんと、盟友・西田修平はんが分かち合うた、銀と銅の物語をたどってまいりますえ。
🏛舞鶴市政記念館、赤れんが倉庫が歩んだ道のり
舞鶴市政記念館は、明治35年(1902年)に建てられた旧舞鶴海軍兵器廠の予備艦兵器庫を再生した建物どす。赤れんが倉庫群の一棟・2号棟にあたり、全長73メートル。レンガは西神崎地区の神崎煉瓦ホフマン式輪窯で焼かれたもので、国の重要文化財、経済産業省の近代化産業遺産、そして日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴」の構成資産にも数えられてますんや。
戦後は舞鶴市庁舎として使われ、平成6年(1994年)10月に市民の交流拠点として生まれ変わりました。厚みのあるれんがの壁に手を触れると、明治の兵器庫から昭和の市役所、そして平成の記念館へと移ろうてきた百年余りの歳月が、ひんやりとした感触の奥から伝わってくるようどす。
🏃舞鶴中学から世界へ、大江季雄はんの青春
大江季雄はんは1914年(大正3年)8月2日、舞鶴市の生まれどす。旧制舞鶴中学(現在の西舞鶴高校)で棒高跳びに打ち込み、慶應義塾大学へ進学。1937年にはアメリカの室内競技大会で当時の日本記録となる4m35を跳び、世界の舞台へと駆け上がっていかはりました。
故郷・舞鶴の港を見渡す丘の上で、若き日の大江はんが来る日も来る日もポールを握り、助走をつけては天へ跳ね上がる姿を思い浮かべますと、海風に背中を押されるような清々しさが胸に広がりますえ。
🥈ベルリンの空の下、分かち合うた銀と銅
1936年のベルリンオリンピック、棒高跳び決勝は雨の降るなか5時間にも及ぶ激闘となり、大江はんは先輩の西田修平はんと共に4m25を跳んでメダルを確定させました。当時のルールなら本来は二人とも銀メダルのはずどしたが、主催者が急きょ新ルールを適用し、先に跳んだ西田はんが2位、大江はんが3位と発表されたんどす。
表彰式で西田はんは、2位の台をそっと後輩の大江はんに譲らはりました。帰国後、二人は銀と銅のメダルをそれぞれ半分に割り、つなぎ合わせて分かち合うことに。これが世界に知られる「友情のメダル」どす。勝ち負けを超えた絆の形に、思わず息をのんでしまいますなあ。
🎖赤れんがに受け継がれる、友情の記憶
大江季雄はんは1941年(昭和16年)、28歳の若さで戦地に散らはりました。舞鶴市政記念館の2階展示コーナーには、港湾や産業、舞鶴鎮守府の資料と並んで「友情のメダル」のレプリカが大切に展示されてますんや。
赤れんがの薄暗い展示室で、半分ずつつながれたメダルのレプリカをじっと見つめていますと、五輪の熱狂よりもずっと静かで、ずっと強い絆の温もりが伝わってくるようどす。舞鶴の海を越えて世界と渡り合うた青年の想いが、今もここに息づいてますんやなぁ。
📍行っ得メモ
・住所:京都府舞鶴市北吸1039-2(舞鶴市政記念館)
・アクセス:JR東舞鶴駅からバス約4分「市役所前」下車、徒歩3分/舞鶴若狭自動車道・舞鶴東ICから車で約4km
・駐車場:舞鶴市役所駐車場(30台・無料)
・入館料:無料
・問い合わせ:0773-66-1096
メダルという栄光の証を、勝敗を超えて分かち合うた若者たちの心意気。赤れんがの倉庫がただの歴史遺産やのうて、人と人との絆を今に伝える場所やと知って、舞鶴の見え方がまたひとつ深まった気がしますえ。
冷やしすぎん常温よりやや低めの温度に整えたYUTAKAを、切子のぐい呑みにそっと注いでみますと、淡く澄んだ香りがすっと立ち上りますんや。ひと口含めば、米の旨みと涼やかな後味が重なり合うて、まるで銀と銅のメダルが一つにつながったように、まろやかな余韻がひとつに溶け合うていくようどす。友情のメダルに思いを馳せながら傾ける一杯は、格別の味わいになりますえ。
ほな、また次回のお楽しみに。 これからもどうぞよろしくお願いします。
FAQ
Q. 「友情のメダル」とはどんなものどすか?
A. 1936年ベルリン五輪の棒高跳び決勝で、舞鶴出身の大江季雄はんと盟友・西田修平はんが分け合うたメダルどす。本来同着のはずが新ルールで銀と銅に分かれたため、二人はそれぞれのメダルを半分に割ってつなぎ合わせ、勝敗を超えた友情の証として持ち合わはりました。そのレプリカが舞鶴市政記念館に展示されてますんや。
Q. 大江季雄はんはどんな人物どすか?
A. 1914年に舞鶴市で生まれ、旧制舞鶴中学から慶應義塾大学へ進んだ棒高跳びの選手どす。1936年のベルリン五輪で銅メダルを獲得し、翌年にはアメリカの大会で当時の日本記録となる4m35を跳びました。1941年に28歳の若さで戦地に散らはり、その生涯は舞鶴市政記念館の展示を通じて今に伝えられてますえ。
Q. 舞鶴市政記念館へのアクセスは?
A. 京都府舞鶴市北吸1039-2にあり、JR東舞鶴駅からバスで約4分の「市役所前」で下車し、徒歩3分どす。車なら舞鶴若狭自動車道・舞鶴東ICから約4km。舞鶴市役所駐車場(30台・無料)が利用でき、入館料も無料どすので、赤れんが倉庫群散策の途中に気軽に立ち寄れますえ。
Q. 見学の後におすすめの楽しみ方は?
A. 友情のメダルの物語に触れたあとは、純米大吟醸YUTAKAをゆっくり傾けるのがおすすめどす。切子のぐい呑みでやや低めの温度にととのえると、米の旨みと澄んだ香りが重なり合い、勝敗を超えて分かち合うた絆の物語の余韻に、静かに寄り添うてくれますんや。
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